【コラム・栗原亮】今回は茨城県内に残る古代・中世の古文書を見ていきたい。古代常陸国の国府であった石岡市鹿の子遺跡で発掘された漆紙文書は一大発見であった。漆紙文書は漆を保存する容器の蓋として使用された反故(ほご)紙。これにより当時の常陸国の戸数と人口が判明し、考古学会を驚かせた。

県内中世文書の第1は、鹿島神宮の中世文書である。表装されて県立歴史館に保管されている。1200点余の史料には源頼朝などの御教書(みぎょうしょ)、鎌倉幕府や室町幕府の将軍の史料が残され、県内最大規模の文書群。根本寺(鹿嶋市)、千妙寺(桜川市)にも中世文書が残されている。

常陸太田を拠点に鎌倉時代から豊臣時代まで勢力を誇った戦国大名、佐竹氏の残した史料群もある。これらは中世常陸国の武士団を研究する上で最適の史料。慶長7年(1602年)に出羽国秋田に転封となった佐竹氏は、元禄期に家臣団を水戸に派遣、関係文書の収集を行った。これらは秋田県立図書館、東京大学史料編纂所、千秋文庫(東京都)に所蔵され、茨城県内の市町村史では必ず利用されている。

鉾田市域の在地領主、烟田(かまた)一族が残した文書もある。この文書は、鎌倉期、南北朝期、室町期の武家文書。この中には譲状(ゆずりじょう)、関東下知状(げちじょう)、一族の相続争いにからむ文書、南北朝争乱期の文書、室町期の軍忠状など、生き残りをかけた在地領主の史料が残されている。

中世文書は、土浦の町人学者・色川三中(みなか)、土浦藩小田出身の学者・長島尉信(やすのぶ)、水戸藩の学者・小宮山楓軒(ふうけん)らによっても収集された。三中は、下総国香取神宮文書の『香取文書纂』、常陸国の中世文書を収録した『続常陸遺文』、国学者・中山信名(のぶな)の稿本『常陸誌料』を基に、『新編常陸国誌』を完成させ、地域文化の発展に寄与した。

尉信は、水戸藩や土浦藩に仕える傍ら、多くの文書を収集して地域史を研究した。楓軒は、水戸藩郡奉行を勤め、『楓軒文書纂』という膨大な史料を残している。これら筆写史料には現在残されていない資料も多くある。誠に貴重である。

県内には畿内の惣村(そうそん)文書のような村落文書は残されていない。これら文書には領主への願書、村落間争論文書、商業文書など、村の内部に関する史料があり、農民の動きを知ることができる。常陸国では武家支配が強かったせいか、村落の自治を物語る史料がほとんどない。戦国末期に残された郷村間の境界裁定文書があるのみで、中世農民の動きを十分知ることができない。農民の歴史を本格的に知ることができるのは、茨城県では江戸時代である。(郷土史家)