【コラム・浅井和幸】私の若いころ、不良少年同士で目が合うと、ケンカをすることがよく起こりました。たまたま目が合うだけで、相手がケンカを売ってきたから、ケンカになった。悪いのは相手であり、自分は売られたケンカを買っただけと、お互いが言うのです。

まったくケンカをすることもない、オタクっぽい容姿の生徒が見ただけでも、「ケンカ売ってんのか、おらぁ」となります。これは、血気盛んな若者だからという理由だけでなく、うまく物事が捉えられない、認知のゆがみからくるものかもしれません。

当人は、相手が自分と目が合うことは、ケンカを売ってきていると決めつけて、世界を捉えています。ケンカを売る気はない相手の行動を、ケンカを売ってきていると、本気で感じているのです。

これは、昔の不良少年に限った話ではありません。物事を決めつけ、マイナス思考をして、飛躍した結論を出す。生きづらさを抱える人が日常的にやっていることがあります。

例えば、一つの仕事がうまくいかなかったことに対し、自分は運が悪い。まじめに仕事をしているから、うまくいかない。周りのうまくいっている人たちは、ズルいことをしているから、うまくいく。自分は、ズルができないから、周りからバカにされている。

例えば、自分は相手のためにアドバイスをしてやったのに、相手はその通りに動かない。相手は自分をなめている。自分はバカにされている被害者だ。自分は被害者なのだから、相手とこの社会から賠償金を取らなければいけない。

人間の力はそう大差はない

これらは極端ではありますが、デマに流されやすい人、いつも自分が不幸である人、陰謀論に流され自分だけは世界の裏や真実を知っていると考えている人は要注意です。世の中、良いことも悪いこともあるし、少々の能力差はあっても、人間の力はそう大差はないものです。

自分だけ大きな力を持っている、自分だけ大きな不幸を背負っている、周りの人は何の苦しみもなくうまく生きている―というような極端なことはありません。

人は1人でいると、考え方、感じ方が偏るものです。孤独は思考を深めますが、極端に非合理な方向に向かってしまうことがあります。何かうまくいかないな、悪循環になっているなと思ったら、そしてそれがとても苦しいものだったら、カウンセラーや医師に相談してみてください。

「自分はどうかな」と思ったら、ネットで「認知のゆがみ」「認知行動療法」とかで検索してみてください。何かに気づくことがあるかもしれません。人や社会は、良いところも悪いところもあるし、ポジティブな部分もネガティブな部分も持っているものです。

どちらもあるし、その中間もある。その程度問題の中で、自分が向かいたい方向を見つけられる言動を積み重ねましょう。(精神保健福祉士)