【コラム・山口絹記】娘と一緒に本を読むようになって、かれこれ7年近くになる。ゼロ歳の頃から読み聞かせを始めて、一体何冊読んだだろうか。我が家には娘の本が200~300冊あるのだが、図書館からも2週間ごとに20冊借りている。本によっては同じものを何百回と読み返すから、単純に何冊という話でもなさそうだ。

こう書くと、育児や教育に熱心という印象を抱かれそうだが、私はお世辞にも良い父親ではない。娘に「公園に行こうよ」と言われても、「えー、ヤダ!」なんて言う親だ。私は出不精だけど本ならいくらでも読んでくれる、ということを、2歳の頃には娘なりに認識し、本の束を抱えて私のところに持ってくるようになった、というだけのおはなしだ。

7年間。ずいぶんと、いろいろなことがあった。

母親がいないと常に泣いていた娘が、いつしか『くつしたくん』や『バスなのね』を読めば泣き止むようになった。上野公園で買ってもらった『よるくま』のぬいぐるみとはいつも一緒だったし、『あいうえお でんしゃ じてん』は一緒に暗記するまで読み込んだ。

『くまたくんシリーズ』や『リサとガスパールシリーズ』は私が好きで一人で読んでしまい、娘に見つかってよく怒られた。私が脳内出血で失語になったときは、娘が『だいすき ぎゅっ ぎゅっ』を代わりに読み聞かせてくれた。

休みの日は、絵本を10冊読むことから始まり、私がトイレの便座に座っているときも本が運び込まれ、本屋に行けばまず1時間は帰れないし、私が自分の本を読んでいるときも「声に出して読んで」と頼まれる。

そして今、斉藤洋さんの『ルドルフとイッパイアッテナシリーズ』や、角野栄子さんの『魔女の宅急便シリーズ』、畠中恵さんの『しゃばけシリーズ』、上橋菜穂子さんの『守り人シリーズ』あたりを一緒に読んでいる。

6歳児と34歳が知識を探り合う

もともとは、もうすぐ小学生になる娘の読み聞かせ卒業に向けて、昨年から準備を始めたのがきっかけだった。今まで一緒に本を読むときは、読み聞かせというよりは、読みながらおしゃべりをするような感じだったのだが、本を読むというのは、本質的には孤独な行為だ。

読書という行為の、底の見えない深淵(しんえん)の淵に手をつないで一緒に立ち、共に底をのぞいてみる。つまり、「一人で本を読むというのも、こんな感じで面白い」という体験をさせる、読書独り立ちしていく娘への、私なりのはなむけのようなつもりだったのだ。

だがしかし、絵本を読むそのノリで、小説を読むのが楽しくなってしまったようだ。そして、私も楽しい。完全に予想外である。

6歳児と34歳がお互いの語彙(ごい)や知識を真剣に探り合い、共有しながら物語の中を進むとどのようなことになるのか。というおはなしはまた次回にしよう。(言語研究者)

【訂正】1日午後1時30分、写真を差し替えました。