【コラム・冠木新市】世界映画史上ベスト10に常々ランクインされる、米映画『市民ケーン』(1941)を久し振りに見た。オーソン・ウェルズが25歳のとき、映画初出演の劇団員と作り上げた監督第1作で、実在する新聞王ハーストをモデルにした伝記映画だ。

オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』

奇っ怪なザナドゥ城で、ひげの老人が「バラのつぼみ」という言葉を残し亡くなる。すると急にニュース画面となり、新聞王ケーンの訃報が流れ、彼の業績が紹介されたあと、突然画面は暗くなり、そこは映写室であることが分かる。新聞経営者が、ケーンが残した「バラのつぼみ」の意味を探れと、記者のトンプソンに指示を出す。

トンプソンは、ケーンの2度目の元妻、後見人サッチャーの回顧録が収められた図書館、仕事上の旧友2人、ザナドゥ城の執事を訪ねる。記者は狂言回しの探偵役なのだが、その描写は後ろ姿だったりして、ほとんど目立たない。目立つのは5人が語るケーン像である。また「君は市民を愛していると思わせて、自分を愛して欲しいだけだ」など、5人が語るケーンの人物評が鋭い。

「バラのつぼみ」の意味は、結局分からぬままに終わるのかと思わせて、ラストシーンで観客だけがその答えを知る。そしてこれまでの物語を振り返ると、強気一辺倒だったケーン像がまた異なって見えてくるから面白い。

筑波郡小田村出身 満洲映画で活動

実は私も「バラのつぼみ」を探している。それは旧筑波郡小田村出身の映画人・根岸寛一の生涯を追いかけているからだ。根岸(1894―1963)は、戦前の芸能史、日本映画史、アジア史で重要な役割を果した人物だが、今ではほとんど忘れ去られている。つくば市でも知っている人はほぼ皆無だろう。

▽大正9年(1920):根岸興業部にいた根岸は、社長の小泉丑治と土浦生まれの作家高田保との3人で根岸歌劇団を結成し、浅草にオペラを根付かせた。現在の日本オペラのルーツと言っても過言ではない。

▽昭和10年(1935):経営悪化した日活多摩川撮影所長となり、『人生劇場 青春篇』『真実一路』『裸の町』『大菩薩峠』『土』など次々と名作・力作を連発。内田吐夢、田坂具隆などの名監督を育て、3年間で空前絶後の歴史を作った。

▽昭和13年(1938):海を渡って満洲国に入る。満洲映画協会の理事として活動。大陸3部作『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓い』で、李香蘭(山口淑子)をアジアの大スタアに育てあげた。

▽昭和20年(1945):日映の社長となる。広島に落ちた原爆記録映画を即座に作る。8月末、フィルムは米軍に没収される。昭和42年(1967)、映画は日本に返還され、翌年、10数分カットされテレビ放映されたが、以後、文部省の倉庫に密閉される。根岸は日本初の原爆映画を作った男なのである。

▽昭和21年(1946):日映退社後、東横映画(後の東映)に参画。満洲から帰国する仲間たちの受け皿を作り、日本映画界を代表する会社の礎を築き上げる。

自分のことをほとんど語らなかった

根岸は、ほとんど自分のことを語らなかったから、資料もない。唯一、仕事仲間だった岩崎昶の評伝『根岸寛一』があるだけだ。それによると、根岸は若いころから、大小説家を目指していたという。亡くなる直前まで日記を付け、読書を続けた。小説の構想もあったに違いない。

どんな物語を考えていたのだろうか。そのタイトルが「バラのつぼみ」に相応するのではないかと私は思っている。根岸寛一を探る旅はまだまだ続きそうだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

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