【コラム・相沢冬樹】常磐線土浦駅を出た上り列車は桜川橋梁を渡り、緩やかな右カーブをたどって小松丘陵の切通しに入っていく。丘陵には跨(こ)線橋が架かっており、手前から一番橋、二番橋と呼ぶ。この2橋について、土浦市はそれぞれ撤去、架け替えの方針を固め、このほど地元に説明した。

1895(明治28)年開通した鉄道の建設時に、丘陵は開削され、後に3本の橋が架けられた。手前の2橋が車両の入れない幅員3.2メートルの鉄橋で、旧国鉄から土浦市に移管となり市道に組み込まれた。建設年次は不明だが、現在架かっている橋のベースは戦前のものらしい。レールから転用された鉄骨が橋脚などに用いられており、物不足の時代の建造だったことがうかがえる。

建設時期不明の橋梁は珍しくない。茨城県内だと約1万5000橋あるうち過半数の約8200橋は建設年次が分からない。老朽化が懸念され、安全性確保のため5年に1回、国の基準で定期点検が実施される。健全性を4段階で診断し、必要に応じ長寿命化や耐震補強などの措置が講じられる。

2橋については2016年の点検で、即時通行止めとなるⅣ判定に次ぐⅢ判定となり、5年以内の早期措置が求められた。しかし、これだけ古い構造だと、最早「手の施しようがない」(市道路課)状態。補修では間に合わず、撤去か架け替えを迫られた。

このため、市はJRなどと協議して、地域の生活道路、高校生の通学路として利用度の高い二番橋のみを架け替えることとし、通行量の少ない一番橋の撤去を決めた。架け替え工事の間、応急的な補強をして一番橋を迂回路に使う方針としたのである。

地元説明会に提示された資料によれば、2018年度に概略設計に着手し、2カ年をかけて詳細設計まで行う。二番橋の架け替えは20年度から3カ年の予定で、その供用を待って23年度に一番橋を撤去するスケジュールが示された。ただし、工期は最短の想定であり、億単位となりそうな総工費ともども明確な見通しは立っていない。メーンの工事は列車の終電から始発まで、未明の時間帯に集中して行うため、JR側の体制次第で変動の幅も大きくなるという。

新しい二番橋は、列車が直線的に走行できるよう、線路脇に立つ橋脚部が省かれ、緩やかなアーチ橋となる。引き続き車両の通行はできないという説明だった。

一番橋がなくなると、二番橋の名称が微妙になる。市道としてはすでに、一番橋が常磐線4号橋、二番橋が同3号橋の名称で管理されている。一番奥の三番橋(同2号橋)はバスも通る規格の道路で、1982年に改良工事が行われた。完成の際、市は親柱に「三番橋」の銘板を設置して愛称的な残し方をしている。

江戸時代の古地図などをみると、二番橋は同市下高津の旧水戸街道から分岐して大岩田方面に抜ける古道「阿波街道」上にある。アンティークなレール製鉄橋が似合っていたことも記憶に留めておきたい。(ブロガー)