【コラム・斉藤裕之】昨年のクリスマスイブに入籍した長女。順序が逆なのですが、その結婚相手のご両親と初めてお会いする日がやってまいりました。長女夫妻が用意してくれたのは銀座の日本料理屋さん。

しかし、何しろヨレヨレの服しか持ってない私。スーツの所在も怪しく、ネクタイもろくに持っていません。さすがに、かみさんも心配の様子で、生まれて初めて洋服の量販店なるものに連れて行かれました。

どうにか、七五三よろしく、体裁を保つことができたところでいざ東京へ。

しかし銀座も変わりましたね。新しいビルは建っているは、人は多いはで、まさにお上りさん状態。でも、なんか妙な感じです。既に入籍を済ませてしまった長女夫妻。お相手のご両親とは初めてお会いするにもかかわらず、すでに親戚関係が成立しているわけです。

娘が伴侶を見つけたことで、今まで全く違う場所で違う生活をしていたあるご夫婦と親戚になるということが、なんとも不思議に感じられました。ともあれ、ご両親は穏やかでユーモアあふれる方々でほっと一安心。

しかし、長女の結婚を機に感じたことは、結婚や子供を授かるというのは極めて個人的な人生の縁であるということ。御上は、少子化対策として保育園をつくることや教育費を下げることを目指しているようですが、根本的には違うことのような気がします。

計算上では、将来いろんな面で不都合なことが起こりそうだということで、にわかに御上もうろたえているのでしょうが、こればっかりは成るようにしかならない。個人的、本能的、運命的な出来事ですから。

「先生、将来結婚できるかな?」との女子生徒の質問には、「大丈夫、世の中上手くできている。地球上の半分は男だから」と、常日ごろ答えていたのですが、そのコンセプトは「35億」というギャグにとって代わられてしまいました。

さて、苗字の変わった長女ですが、3月末まで今の職場で仕事を続けるとのことで、未だに我が家で暮らしていて、週末になると夫のアパートに通っているので、娘が結婚したという実感があまり沸かないのです。

因みに長女は保育士。今や売り手市場の業界で、4月から働く予定の東京の保育園の待遇にもにんまり。これは御上のおかげかもしれません。ともあれ、楽しい家庭を作られよ。お幸せに。(画家)