【コラム・浅井和幸】私は、様々な悩みを持ち相談に来られる方に日々対応しています。その来談者に対し、あまりに難しい顔をしていたり、解決が難しい悩みですねと軽々しく言ったりはできません。必要以上に苦しめてしまうかもしれませんからね。もちろん、軽々しく扱うものではありませんから、どれぐらい難しい問題なのか、こちらが感じ取ることは大切です。

簡単な問題であれば、来談者は労力を割いて相談には来ません。持ち込まれる問題は全て難しいものです。少なくても来談者にとっては難しい問題であり、何かしらの支障が出ているわけです。

それに対し、相談を受ける側―カウンセラーとか支援者―も、日々、来談者と一緒に悩んで、どうにか解決できないかと考えています。私は、この支援を行っている側からの相談を受けることもあります。そして、支援者とのコミュニケーションの中で違和感があり、「難しい」という言葉を使わなくなりました。

大げさに表現すると、このような会話になってしまうのです。支援者「…という問題に対応しているのですが、何か対処法はありますか? 難しいですか?」。浅井「難しいですね。だから、いろいろ対処法を考えて…」。支援者「ですよね。浅井さんでも、やっぱり何も出来ないですよね」。

このような会話になってしまうのは、私が使っている「難しい」と、一般社会やこの支援者が使っている「難しい」という概念に大きな開きがあるためです。私は「簡単ではない」とか「すぐには答えが出ない」事柄を表現するときに、「難しい」という言葉を使います。(「難しい」「簡単」などの評価は、次の対処のためにするものだという意識が強いです。さらに工夫を考えて対処が必要だという意味と捉えてもよいでしょう)

シビアな場面で曖昧な表現は誤解を生む

しかし、違和感を覚えるときは、「難しい」とはできないこと、不可能なことを指すことが多いのです。その方たちは意識していないでしょうが、「簡単」はできること、「難しい」はできないことという使い方をしているのです。そして、「難しい」ことは永遠に「難しい」ことで、この先も対処不可能だという思い込みがあるのかもしれません。

普段の会話では、「できない」というと角が立つので、「難しい」と表現して、お互いが傷つかない知恵なのかもしれません。しかし、シビアな場面では、曖昧な表現は誤解を生みやすいものです。うまくいっているときは、曖昧にぼかして、違いはむしろ感じないようにしたほうが、仲間意識を損なわずに済むというメリットがあります。しかし、問題に対処するときは、すれ違っているところをより詳細に明確に感じ、考える必要があるわけです。

うまくいっていないときは、より具体的に、より丁寧に言葉を使う必要があります。それは伝えるときも、聞くときも、どちらも必要です。伝える側と聞く側は、すぐに入れ替わるのですから。(精神保健福祉士)