【コラム・栗原亮】近世江戸時代に村に残っている古文書は、きちんと残されていれば、1万点は下らないという。しかし、現実に残されている古文書は3千点を超えれば、1村に残る古文書としては多い方である。

江戸時代には、村の古文書は再生紙の材料として使われたり、花火の材料として使われたり、製茶の材料として使われてきた。明治期には「村には歴史がない」という考え方があり、研究の対象とはならなかった。その対象になったのは戦後である。戦後の動乱期を経て、村の古文書が研究者の目に留まり、近世農村史の研究が進展した。

戦後、地主制が解体されると、その凋落に伴って古文書が古本市場に出回り、多くが国文学研究資料館や地方の博物館に所蔵されることになった。農村文書だけでなく、旧大名家や公家の史料も放出され、これらが資料館や博物館に残されている。

茨城県では、県立歴史館、古河市立博物館、土浦市立博物館などに古文書が収集され、利用されている。これらの施設や個人蔵(公開を許可された史料)の文書がマイクロフィルム化され、写真版として公開されるようになれば、一般の関心も高まるのではないか。これらの古文書は、もともと残されていた古文書の何百分の一であろうが、きちんと保管して後世に伝えなければならない。

まず、国の「公文書館法」を見直し、自治体の条令を整備し、基本的な体制をつくることが先決である。日本では、近現代文書を扱う「公文書館法」と近世文書を扱う「博物館法」がきちんとしていない。茨城県では、県立歴史館が近現代文書と古文書を保管整理している。

現用文書を後世に伝え公開していくことは重要である。文書が進行中の行政を考える素材であることは言うまでもない。また行政を歴史的に検証するためにも必要である。現用文書が利用されなくなったら公文書館に移管し、後に使えるようにしていくべきである。

すべての史料を残すことは不可能に近いので、一定の基準に従って選別し、後世に伝えていかなければならない。現在の「公文書館法」は、元茨城県知事、後に参議院議員となった故岩上二郎氏が提唱、法制化したものである。

茨城県は、歴史館とは別個に公文書館条令を作り、県立公文書館を設立して、公文書館の模範県となるべきではなかったろうか。岩上氏の考えが生かされず、茨城県が先進県になっていないのは、歴史の皮肉である。(郷土史家)