【コラム・山口絹記】このようなご時世だからだろうか。“趣味”というものの需要が高まっているようだ。

と言うのも、私自身が時間ができたら買おうと思っていた趣味的ニッチな商品が、ネット上で続々と売り切れているのだ。例えば、写真のフィルムをデジカメで撮影して、デジタル化する商品とか(かなりニッチな商品だと思う)。

ようは、日々の生活が今までと少し変わった結果として、お金をかけただけでは解決しないもの、時間を必要とするものの需要が伸びているらしい。きちんと調べていないので、真偽の程は定かではないが、言われてみればなるほど。納得できるおはなしである。

同時に、生活の変化をきっかけに新しい趣味をはじめてみよう、という人も多いようだ。

これも、どの程度の規模のおはなしなのかはわからないが、事実なのだろう。私自身、17歳の頃、浪人生活の開始とともに住み慣れた地を離れ、祖母と2人暮らしを始めたときから、いわゆる“趣味”というものが増えたからだ。外的要因で集団から切り離され、ひとりの時間が増えると、人間、何かを始めてみたくなるのではなかろうか。

定年退職した人が、仕事以外にやることが見つからなくて趣味を探し始めるといった、ありふれたおはなしが、世代関係なくいたるところで発生しているとすると、なかなか興味深い。

あなたはどんなとき幸せですか?

さて、本題だ。そもそも趣味とは何なのだろうか。ここまで曖昧な単語もなかなか珍しいように思う。すでに趣味がある人にとってはたいした問題ではないのだろうが、自覚的には趣味が無く、かつ趣味を持ちたい、でも見つからない、という人には深刻な問題だ。

仕事や職業ではなく、人が個人の楽しみのためにやっている事柄、といった定義が一般的なのだろうが、この定義は意外とくせ者だと、私は感じる。

「あなたの趣味は、何ですか?」

誰もが、うんざりするほど訊(き)かれたことのある質問だろう。話題がなくなってきたサインでもある。ここで気の利いた返しができないと、その会話はたいてい、ゆるやかな死を迎えることとなる。“楽しみにやっている事柄”と問われると、どうしても単純な名詞で答えたくなるのが人の性だ。加えて、趣味を訊かれるたびにくどくど説明するのも、実際はばかられる。

言霊(ことだま)信仰とは違うのだが、ことばの持っている力というのを、あまり馬鹿にするものではない。名詞を問われているという思い込みは拭い難い。答えが見つからないと、自分には趣味が無いように思えてくる。

だから、質問を変えてみよう。「あなたの趣味は何ですか?」ではなく、「あなたはどんなときに楽しいですか?幸せですか?」

問うているのは、事柄ではなく、時間である。もしも何か思い浮かぶものがあれば、それはきっと大きなヒントになるに違いない。(言語研究者)