《くずかごの唄》6 落語家になりそこなった哲学者


【コラム・奥井登美子】日仏会館へ行くには、恵比寿駅を降り、ガーデンパレスの中を5分ぐらい歩く。帰りに、恵比寿ビヤホールで一杯やるのも、同館で開かれる行事の後の楽しみだ。辰野高司氏(故人、東京理科大教授)が日仏薬学会会長をしていたとき、同会の事務長をしていた亭主は、昔の思い出のぎっしり詰まった日仏会館が今でも大好きだ。

昨年12月に開かれた「日仏会館科学シンポジウム」の講師の1人に実弟の加藤尚武がいた。テーマは「科学の社会的機能」。哲学者が科学者の前で科学を語る、いったいどういうことを話すのだろう―。

弟は京都大教授の後、鳥取環境大の学長になり、最後は東大医学部で医療倫理学の講義をしていた。現代の哲学者は、机の前に座って本を読んでいるだけでは勤まらないらしい。環境問題だけでなく、医療問題までもが倫理学の範疇に入っているから、頭の中の整理も大変と思う。

「その最初の事例は集散論であります。…存在するとは集まること、無になるとは散らばること…という思想は、紀元前4世紀、インド、ギリシャ、中国、イスラエルに現れて、アニミズムを否定しました。望遠鏡は、天体が霊体でないことを証明しました。顕微鏡によって、肉眼で見えない微小生物が見えるようになり、1890年代、病原体説が確立しました。そこで、感染症の予防と治療が可能になったのです」

「インターネットは、世界中の個人があらゆる情報を共有する可能性をつくりだしました。しかし、情報の相互淘汰が情報の質を高めるという理念は、完全に裏切られました。情報の量は限りなく増大し、合意の質が低下しています。科学的合理性が衰え、非合理性がはびこれば人類は荒廃します」

弟の講演を聴きながら、突如、彼が中学生だったころ、落語家になりたくて、なりたくて、毎日毎日、下手な落語を聞かされたことを思い出してしまった。

パワーポイントがうまく接続出来なかったため、言葉が重要になってくる。そのせいか彼の講演は、言葉の一つ一つを、かみ締めるように語る。その調子とテンポが、まるで落語そのものなのである。「新作落語を聞くような感じだわ」「ほんとそうだ」。亭主も友達も、弟に「落語家」を感じたという。哲学と落語の間に何かあるのかも知れない。(随筆家)