《吾妻カガミ》22 増える「年賀状は今回が最後」

釣りをする少年と子犬像(霞ケ浦総合公園、初日の出前)

【コラム・坂本栄】もういい歳だし仕事からも遠のいたので年賀状は今年を最後にしたい。今年はこういった趣旨の年賀状が多かった。1、2年前から目に付くようになり、自分も友人もそんな歳回りかと思っていたが、今年はグンと増えた。中には、年1回のコミュニケーション手段の年賀状を止めても、フェースブック(FB)でコンタクトできるという友人もいたが…。

古希を過ぎた団塊世代の退場(私は団塊走りの1946年生まれ)。コミュニケーション手段の進化(FBや電子メールの普及)。無駄な形式儀礼の廃止。理由はいろいろと思うが、年賀状の総量は確実に減っている。㈱日本郵便が今年の年賀状料金を据え置いたのは、ハガキ売り上げの急減を避けたかったからだろう。

でも、これまで年始の挨拶はメールだったのに、年賀状に切り替えた友人もいた。なぜなのか聞くと、メールだと書き過ぎてあまり読んでもらえない、それに新しい試みと思っていたことが普通になってしまった、と。上の指摘とは逆の流れであり、これはこれで面白い。もちろん頑固なメール派もいて、キャパシティに制約がないせいか呆れるほど長い。

年賀状 いくつかの類型

ハガキ派はいくつかの類型に分けられる。多いのは「形式化した儀礼」そのものの年賀状。年に一度、友だちの記憶を呼び起こすことはできても、52円がもったいない。次に多いのは、儀礼の文言+手書きの一言。このスタイルは、儀礼型よりも呼び起こし効果は大きい。

 メディアという仕事柄、政治・経済・国際問題についてコメントするコラム派もいる(私もその1人)。この型の人は、何か発信したくてうずうずしているから、年賀状というコミュニケーション手段を放棄することはない。㈱日本郵便にとってはいいお客さんだ。

数は少ないが、身辺のことや思い出などを小さい文字で記してくる友人もいる。縦15㎝×横10㎝のハガキにプライベート情報が詰まっているので、読んでみたくなる。メールだと、文字過多は読むのが億劫(おっくう)になるが、150平方㌢に詰め込まれた身辺雑記には引き込まれる。

伝達手段 それぞれの特性

ハガキにしろ、メールにしろ、HP(ネット時代のソーシャル・ネットワーキング・サービスのひとつ)にしろ、コミュニケーション手段が拡がるのは楽しい。古いツールも新しいツールも、それぞれの特性を引き出しながら(あるいは逆手に使いながら)、新旧の伝達手段を使い分けると面白い。

きょう15日から後期授業が始まる。年賀状によるアラウンド70との間接会話から、講義を通じたアラウンド20とのコンタクトの世界に戻るわけだ。一気に半世紀もタイムスリップすることになる。(大学兼任講師)