【コラム・斉藤裕之】駅前のイルミネーションのオブジェを撤去しているとき、無理に力を入れた瞬間、脚立から落ちて身体の左半分をしこたま打った。瞬間的に何とか被害を最小限にしようと体が反応して、地面が近づくまでスローモーションのように感じた。「鎖骨は大丈夫そう。顔は擦り傷か? あばらはやったかも?」。

小学校のときに、右手を折ってから骨折は何度か経験している。あばらは多分5、6回はやっている。多分というは、レントゲンを撮っても「あー折れてますねえ」と言われて湿布をくれるだけなので、医者で確認をとれたのが3回ほど。前回は、酔っぱらって家の入口で転んで骨折したのが10年ほど前か。そのときは医者に行って骨折と断定された記憶がある。

その日の夕方は何とか風呂に入って横になった。しばらく寝てしまって、起き上がろうとしたら起き上がれない。痛みをこらえながら、カミさんに何とか起こしてもらった。多分ヒビぐらいは入っているのだろう。しかし日雇い先生はこれぐらいで休めない。鎮痛剤を飲んでなんとかごまかすしかない。

ところで、このコラムは日記として書いていることもあって、極めて個人的な事柄を書かせてもらっている。私が父の日記を読んでそうであったように、何年、何10年も先に、娘たちがこれを読んで事実を知るということも面白い。

娘たちは私の書くものに全く興味がないのだが、この際、あばらを痛めたのを機に記すことにした。

娘の子は「ボーン・イン・イバラキ」

長野県の北部、白馬の手前の小谷(おたり)という駅を降りると、鹿島槍ケ岳を臨む山の斜面に東京芸大の山小屋がある。大学院生の夏。そこではしゃぎすぎた私はマウンテンバイクから落ちて鎖骨を折ってしまった。そのまま何日かを過ごして東京の病院に行ったら、「筋肉が緊張しているからこのまま固めましょう」と言われた。だから、今でも右の鎖骨は少し膨らんでいる。

さて、その年の秋。不完全燃焼に終わった長野の旅をリベンジするために、当時すでに結婚をしていたカミさんと、骨折が完治しないまま上高地などを訪れた。そのときにできたのが長女だ。つまり長女よ、あなたは「メイド・イン・マツモト」なのよ。

「骨折り損のくたびれ儲(もう)け」はごく早い時期に出会った諺(ことわざ)だ。多分、少年漫画の中に書いてあったような気がする。本来はネガティブな意味で使われる諺だが、痛みをこらえてケヤキの枝からイルミネーションを外していると、人生それでいいような気がしてきた。この作業が終われば春が来る。それにしても汗ばむような陽気で、毎年、確実に春の訪れが早まっているのを実感する。

顔の擦り傷は1週間、あばらの痛みは1カ月の我慢。そして6月に十月十日を迎える長女が、出産の準備のために帰ってくる。つまり、彼女の子供は「ボーン・イン・イバラキ」となる。(画家)