【コラム・山口絹記】気がつけば、初めて自分のカメラを持ってから10年以上がたった。あのころはまだiPhoneもなくて、ケータイのカメラはあくまでオマケ。プロや写真愛好家の中では、デジタルに移行する人もいれば、デジタルカメラがいくら便利でもフィルムの画質にはかなわない。なんて話をしていたっけ。

私のメイン機材であるデジタル一眼レフは、有効画素数4,575万画素。10年前であれば、高画素になればなるほど、素子の性能が落ちるとか小難しいおはなしもあったのだけど、もうそんな弱点も克服されてしまった。

当時はNikon F3にISO100のリバーサルフィルムを入れて、50mmの単焦点レンズでシャッタースピード1/8秒まで手ブレしないで撮れるよう訓練していた。私が今使用しているレンズは手ブレ補正機能付きだ。望遠レンズでなければ1/8秒なんて片手で撮れる。

最近のカメラ談義は、ちょっとカメラが好きな方たちの間では、デジタル一眼レフとミラーレスカメラの性能比較。一般ユーザーであればスマホとデジカメの比較? いや、もうスマホで十分という感じだろうか。

プロの世界もミラーレス機が主流になっていくのだろう。どこまで行っても写真はレンズだから、スマホに取って代わられることはない。などと思っていると、ミラーレス機とスマホごと、新しい技術に横合いからぶん殴られて消え去るかも知れない。今までだってそうだった。これからだってそうだろう。

写真は目を引くための入口

時代の移り変わりのなかでカメラのおはなしとなると、いつだって機材や写真の仕上がりにおける進化についてとなるのだけど、私はこの10年で一番変化したのは、実は写真と人の関わり方なのだと感じている。

今、写真を一番見る場所はどこだろう。Instagramだろうか? Instagramの推奨画像サイズは1,080×1,080=1,166,400画素(約117万画素)だ。それを表示しているのが最新のiPhone12だとして、画面解像度が2,532×1,170=2,962,440画素(約296万画素)。Retinaディスプレイはとてもキレイだけど、実はそんなものなのだ。

そして、そういった環境で見る写真、本当に写真を見ているのだろうか。私は違うように思う。

私たちは写真とともに投稿者のコメントを読み、ハッシュタグに興味を持ち、リンクの先の情報へと旅をする。写真は目を引くための入口になり、物語の挿絵になって、挿絵は次の挿絵への導線であって終着点はそうそう見つからない。このWebサイトを含め、これがインターネットの仕組みであり、現在の我々の感覚なのだろう。

写真が写真だけで完結できる環境が無いのなら、ことばやテキストを使おうではないか。ことばだけでは目を引けないなら、写真でも動画でも使えるものは何でも使うしかない。

機材やレンズにこだわって、私が撮ろうとしている写真が目指しているのは、一つの終着点だ。それは今でも変わらない。ただ、固執しようとも思わない。だって、この記事、挿絵が一枚しかないから、最後まで読ませる導線が弱いと感じているのだもの。(言語研究者)