【コラム・相沢冬樹】常磐線ひたち野うしく―荒川沖駅間に「二十三夜尊前踏切」がある。牛久市でも土浦市でもなく阿見町内に位置する踏切だが、では二十三夜尊はどこなのか。付近を歩いても見当たらず、3市町をまたぐ地図にそれらしきは出てこない。

実はつくば市(旧茎崎町)に所在する月読神社が二十三夜尊の正体。「前」というには遠すぎる3㎞もの道のり、地元では「樋の沢の三夜様」と呼ばれる。

小野川べりの木立を背後に建つ神社は、お寺の伽藍(がらん)みたいな社殿を持ち、鳥居もあれば鐘楼風の建物もある神仏混淆(こう)。社殿の扁額や奉納幕には「月読尊」(つくよみのみこと)の名が記される。この天照大神(あまてらす)の弟神が、神社の祭神になるはずだ。破風(はふ)などに細かな彫刻が施されており、立派な造作だが、古びたたたずまいは時代に取り残された風にも見える。

二十三夜尊なら、旧暦23日は縁日かもと訪れた際にも、境内はひっそりしていた。月読神社社務所の表札を掲げる隣家は岡野さんといい、ご婦人が在宅していた。話を聞くと「作神様を祀っているから農閑期になるまで祭事はない」という。

神社の事跡書などによると、元は岡野家の氏神だった。南総(千葉)にあった家の先祖が10世紀半ば、平将門が起こした天慶の乱に追われるように東北を目指し、この地にたどりついた。小さな祠を建てたところ崇敬者を集めるようになり、江戸時代は谷田部藩領で藩主細川候の祈願所となった。その寄進により天保二(1831)年、社殿が造営された。ケヤキ造り、四間四方の拝殿を建立したとあるが、現在の社殿は何回かの遷座を経ているらしい。

1月9日に献穀祭

ご婦人に「農家の人け?」と誰何(すいか)され、「皆さんに配ってる」とおみくじみたいな刷り物を渡された。「平成30年作物予表」と記してある。200円也。

毎年10月17日に行う筒粥(つつがい)という神事で、翌年の天候・作物の吉凶を占っており、稲や陸稲、麦類、豆類、西瓜などの農産物ごとに作況を予想した。一トから九トまでのランクづけで、早稲は四ト、中稲は三ト、最後の世ノ中は六トとあった。前年はそれぞれ九ト、六ト、八トだったから、新年は低調な作況・世相になりそうだ。

「月を読む」ことから農事暦と結びつき、作神様につながった。近在の農家から信仰を集め、以前はバスで参拝者が押し寄せ、露店も出るにぎわいだった。神社の「前」には稲敷地方から下総の田園地帯が広がるのである。

岡野家に神職が不在になるなどして、今は行事も途絶え気味。辛うじて続いているのが霜月二十三夜の献穀祭で、天狗が舞い神饌(せん)の餅を配るという。暦をめくると2日の今宵が満月だから、1週間後に下弦となって二十三夜、新暦1月9日の開催となる。(ブロガー)

▽月読神社(つくば市樋の沢208)電話029-841-0588