《ひょうたんの眼》2 東京オリンピックを迎える気概

タイ・バンコク、ワット寺院の涅槃(ねはん)像。足の裏から仏頭を撮影

【コラム・高橋恵一】またオリンピックが近づいてきた。そう、この前の東京オリンピックは、昭和39年10月10日開会。その前の東京オリンピックは、昭和15年のはずだったが、戦争のため中止になった。その反対に、古代オリンピックは、ギリシャの都市国家のアテネやスパルタが競っていた時代で、競技会の時は戦争を止め、選手達が力を競う平和のスポーツ祭典だった。

近代になって、クーベルタン男爵が古代人の智恵に学び、国際社会の平和を願って提唱し実現させたのが近代オリンピックであり、4年に1度、開催都市を選んで実施されている。

昭和39年の開会式当日には、飛行機雲で青空に5色の大きな5輪のオリンピックマークが描かれ、5大陸の連帯を象徴しているのだと教えられた。聖火リレーは、未だアメリカ占領下にあった沖縄から始めて日本国中の若者でリレーし、原爆投下の日に広島県で生まれた坂井選手が最終ランナーになって、国立競技場の聖火台に点火した。縄文土器をデザインした聖火台だった。

日本選手の活躍にも感動したが、柔道のヘーシンク、器械体操のチャスラフスカ、裸足のマラソンランナー・エチオピアのアベベなど、世界のヒーロー・ヒロインが登場した。日本選手が勝てないなんて言う「チャチ」なことを言わず、私たちが平和のイベントを支えているのだという気概が、国民全体を包み込んでいたように思う。

開会式は、ギリシャを先頭に整然とした入場行進だったが、閉会式は、世界の93カ国・地域の国旗が先に入場し、その後から、国や民族の壁を払拭するように、ごちゃごちゃになって、全員が笑顔で入場した。正に平和の連帯だった。

ここまでの拙文は、ネットで検索することもなく、50年以上も私に刷り込まれていた東京オリンピックであり、日本が戦争から立ち直り、平和国家として国際社会に復帰した宣言でもあった。

ところで、残り3年を切った今度の東京オリンピックは、世界の人々に何を訴えるのだろうか。

日本選手が銅メダル争いをしている競技で、金や銀の外国選手の活躍は放映されるのだろうか。かつて「民泊」は、一般の家庭に家族連れや少人数の旅行者が、ホスト家庭の食事をホスト家族とともに食し、友人になって、小さな国際交流の輪をひろげたものだった。「おもてなし」などと呼んで、ビジネスチャンスにしようなんて、さもしいとしか言いようがない。帰国後に家族同士の文通なんて、IT社会には向かないだろうが、大事なものが欠けていると思う。

心の連帯と反対の方向に向かいかねない今日の世界。イスラエルもシリアも南スーダンも北朝鮮もアメリカも、せめてオリンピックの期間は、危険な行動を中断する―開催都市東京と日本国は、その呼びかけ宣言が出来ないだろうか。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)