《地域包括ケア》2 土浦の症例を機に広がった地域ケア活動

高齢者サロン「ゆうゆう」=TX研究学園駅前

「地域包括ケアシステム」と言う言葉は、1970年代に広島県御調町 (当時)の公立みつぎ総合病院の山口昇院長が医療福祉の連携について述べられたことが始まりである。 脳血管障害で入院した高齢者が入院治療を終え自宅に退院しても、寝たきり状態になって再入院する事例があり、1984年から御調町は在宅医療や看護、福祉の出前、健康指導、さらに町の保健福祉部門を病院内の健康管理センターに統合した。

1984年と言えば、土浦市の国立病院機構霞ケ浦医療センター(当時、国立霞ケ浦病院)整形外科・関寬之医長が提案した在宅医療・在宅ケアの月例「地域医療カンファレンス」が始まった年である。関医長がカンファレンスを考えついたきっかけは山口昇院長と同様で、大腿骨頚部骨折を手術した80歳男性がリハビリで歩行や身の回り動作が一部介助の状態に改善し退院したが、日中は家族が仕事に出るため介護が受けられず寝たきり状態となったことが始まりである。

関医長が市医師会はじめ関係機関に広く呼びかけ、初回のカンファレンスには開業医、市役所の保健師や福祉事務所職員、病院の医師、看護師、理学療法士等の約30名が集まった。それ以降、第1水曜日18時からの月例会は現在も続いている。

当時は、介護保険サービスは無く、土浦市の福祉サービスも限られていた。定期的往診(現在は訪問診療と言うが)をする家庭医を見つけることが難しかった。もちろん訪問看護ステーションは無く、病院の看護師と理学療法士は勤務時間外のボランティアであった。行政の保健師は看護経験が少なく、看護でなく介護指導を担った。公的福祉サービスもホームヘルパーが少なく、ショートステイは費用が高かった。ある地区では地域の数名のボランティアグループが交替で、近くの一人暮らしの閉じこもり高齢者を訪問しておしゃべりから始め、散歩に誘い出し、ついに自分で散歩をする高齢者に変身させていた。

僕も当初から「地域医療カンファレンス」に参加。「地域ケアシステム」について口角泡を飛ばし討論したことが懐かしい。1986年から「地域医療カンファレンス」のメンバーが中心となって、茨城県南部に広く地域ケアシステムを広めようと「県南医療福祉交流会」を毎年開くようになった。

1991年から、つくば市で在宅医療・在宅ケアのカンファレンス「つくば医療福祉事例検討会」が第3金曜日夜、つくば市医師会主催で始まった。これを契機に県内の市郡医師会主催のカンファレンスが広がった。

1994年に茨城県事業として発足した「地域ケア推進事業」はリニューアルされ、昨年3月に「茨城型地域包括ケアシステム推進マニュアル」が発刊された。

茨城には地域ケア活動の歴史があるのに、なぜか発展しない。なにが不足しているのか考えてみたい。(室生勝)