土浦市の委嘱を受けた調査員3人が市内をくまなく歩き、樹木100本を選び出す作業は1993年から97年までの5年間行われた。市が名木・古木に指定した後も、3人の樹木調査は続いた。

自然のものだから、枯死や損傷は免れない。宅地開発や道路建設で伐倒される樹木もある。そんなケースを調査で見つけ出し、リストの更新を行った。

3人の中のひとりで現在、同市文化財愛護の会みどりの文化財調査部会長を務める高野敏夫さん(84)は、指定当時の名簿を保管している。20本ずつ樹木の名称、所有者、樹種、樹高など形状をワープロ打ちしたリストである。

名簿1枚目のNo.1~20が、初年度に名木・古木指定された「1期生」オリジナルメンバーだ。イの一番は真鍋・八坂神社のケヤキ(写真)。樹高29m、胸の高さの周囲長は5.61mと計測されていた。

樹木名と所在地を抜き出してみると(表)、すでに20本中3本(白抜きにした)が失われている。6番目「神立のサワラ」は高野さん自身の所有木だったが、道路拡張の際に切り倒された。

こうした欠損のケースで、調査リストにあった樹木から補充分を選び、100本の名簿を入れ替えた。高野さんによれば、この作業は2007年まで続いた。名木・古木の所有者に対する年間5000円の補助金支給も続いていたはずだという。が、打ち切りの経緯の詳細は覚えていない。記録は、土浦市公園街路課にも残されていない。

時期的には土浦市が旧新治村と合併した2006年に前後する。名木・古木指定は旧土浦市の制度である。旧新治村にはなく、合併後の市域に格差が生じることとなる。範囲を広げ新たな対象木を調査するにも、新たな指定にもお金がかかる。見直し、廃止の対象になったはずだ。

当時の市職員を探して尋ねると、「うろ覚えだが所有者には感謝状を出し、打ち切りにしたように思う」と記憶をたどった。

2007年に市の委嘱を解かれた後も、高野さんは文化財愛護の会の活動として樹木調査を続けた。皮肉なことに、旧新治村のエリアを調べることになったのだ。土浦市の「指定要綱」に準拠する形で名木・古木にふさわしいと思える樹木を探した。

まとめ役だった須田直之さんが2010年に他界、残された2人の調査員も80代、高野さんは膝を痛め、思うように山歩きができなくなった。旧新治村は土浦旧市内に比べれば山がちの地形である。

それでもこれまでに、62本の木がリストアップできた。旧市内ではあまり目にすることのないクロガネモチ(小高)、カゴノキ(上坂田)などが確認できたという。

土浦市文化財愛護の会は今年創立40周年で、その記念事業として出版が検討されたが、「会の方にも都合があって」、決定には至らなかった。勝手にスポンサーを探すわけにもいかないらしい。

植物の話だけに、何とか日の目を見せてやりたいと思う次第である。(相沢冬樹)