《郷土史あれこれ》2 歴史資料の現在

亀城公園に隣接する土浦市立博物館

前回は、博物館がないと様々な歴史資料を見ることができない現状について説明した。県内ではバブル時代に市町村史が作成されている。昭和50年に土浦市では「土浦市史」1冊、「土浦市史民俗編」1冊、「土浦市史編纂資料集」25冊が作られた。この地域の地方史編纂としては早く出来上がったが、その「史料集」に収録されている史料には、現在どこにあるか所在の分からない史料がある。

これは土浦市に限らず、継続事業として「資料集」の発刊が行われていれば、担当の部署がこれまで蒐集した資料の所在を確認し、資料の保管に努めることもできる。しかし、その部署がなくなり、資料の確認も行われず、資料を保管するお宅でも関心がなくなり、焼却やゴミとして扱われてしまうと、その地域に残された貴重な歴史資料が失われてしまうのである。

歴史資料への関心がないのは、大河ドラマの英雄史観や皇国史観による庶民には歴史がないとか、小中学校・高等学校の歴史教育が、考える授業ではなく暗記物にしているとか、様々な影響が考えられる。ここには一人ひとりが歴史に関わっているという意識が全体的に薄いことが挙げられる。そこに難しい問題がある。

最近はやりの、終活とか、断捨離とかの言葉がある。個人の積み重ねてきた人生の総括が「断捨離」となり、個人が持っていた歴史資料が失われていくのは、どうであろうか。個人の遺産といえども、国や地域にとって必要な歴史資料は残し、後世に伝えていかなければならい。

こうした歴史資料を保存し後世に伝えていく施設が、博物館である。「博物館法」には、博物館には学芸員を置かねばならないという規定がある。「学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる」(博物館法)とあるように、資料の収集、保管、展示を専門に行う専門職員である。

すべての市町村に博物館があり、学芸員が置かれているわけではない。博物館法には、すべての市町村に博物館を置かなければならないという規定はない。博物館を置くことは、その市町村に任されている。博物館がなくても、遺跡の発掘をやる必要性から、考古学関係の学芸員が置かれている市町村もあるが、原始古代から現代にわたる専門の学芸員が置かれている市町村は、茨城県ではほとんどないといっていい。

土浦市では、「博物館」と「上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)」が設置され、10人以上の学芸員がおり、ひじょうに充実している。茨城県で最も必要な学芸員は、近世の古文書を読める学芸員である。村方資料を読めなければ、江戸時代の歴史を知ることができない。今こそ必要なことは、県に残された貴重な遺産である近世の古文書を調査し保管する博物館を設置し、学芸員を置くことが肝要ではないだろうか。(栗原亮)