【コラム・浅井和幸】頑張らなくてよいという言葉がもてはやされ、「頑張ること」が悪であるとまで言われることがある昨今です。そのような中で、「根性」や「気合い」が必要なのかという疑問を持つ方も多いと思います。

ただ、頑張ることが悪である場合、頑張っている人間や成果も悪であるという評価になってしまうことに矛盾を感じる必要はあるでしょう。頑張り過ぎて、疲労が度を越えること、疲労感に気づかずに疲労を重ねていくことは危険です。頑張ること、頑張り過ぎること、疲労、疲労感、疲労回復というキーワードは覚えておいて損はないと思います。

話を元に戻して、「根性や気合が必要なのか?」です。これに関しては、もう一歩の作業で達成すること、もう一歩で勝負に勝てることには、実際に有効であることは心理学や脳科学で有効であるという見解はあります。

難しいことは置いておいて、「おりゃ~~」と声を出すことで、無言よりも重いものを持ち上げられる、皆で掛け声を掛け合うことで乗り切れる―こともあることは、経験したことがある人もいるのではないでしょうか。

さて、この根性や気合のレベルを上げることは可能なのでしょうか。これらのことは、大声で掛け声が長く続くかどうかではなく、嫌な作業を継続させる集中力をより長く続ける力ととらえることが日常では多いと思います。この集中力を続けること、高めることは、適切な鍛え方で身に着けることは可能です。

適度な負荷と成功体験が大切

瞑想、イメージトレーニング、成功体験などなどが、この力を伸ばすことが出来る方法の一部です。山登りをして頂上で見る朝日やテストの点数が上がることを喜べる人ほど、もっと上に向かうものです。これには、その人に合った適度な負荷(苦労)と成功体験(喜びを感じる)ことが大切なのです。

ですから、部活で監督やコーチに怒鳴られたり殴られたりすることや、夏の暑い時期でもネクタイをつけてジャケットを羽織り、サドルを外した自転車で立ちこぎして、フラフラになるまで営業をすれば根性がつくというのは、ほぼ間違いです。

「ほぼ」というのは、それが偶然、その人にとって適度な負荷と喜びであった場合で、徐々に負荷が重くなる時のみ、その行動で根性がついていくのです。根性レベル「3」だった人が、「4」になり、「5」になっていくのならば根性がついたとなりますが、もともと根性レベル「7」だった人が「7」のままだったり、「6」になったりしていれば、それは根性が変わらないか、無くなったことになります。

若いころの体験で根性がついたという人のほとんどは、もともと根性があった人の可能性があります。ほとんどの人は、画一的な「根性のつけ方」では、脱落するか、レベルが下がります。その証拠に、次の二つに思い当たることは無いでしょうか?

・根性のない奴は、部活や仕事を辞めていった。

・若いころの苦労を、歳を重ねた今はしたくない。(精神保健福祉士)