【コラム・斉藤裕之】梅雨の晴れ間は八郷(やさと)のお寺さんの裏山に薪割りの修行?に出かける。チェーンソーで玉切りにした丸太に向かってヨキを振り下ろす。1時間、30分と、徐々に頑張れる時間が短くなる。水と補水飲料の入った大きなペットボトルを2本用意したのだが、噴き出す汗の量に追いつかない。

お寺の本堂の屋根が目の前にあって、そもそもその屋根に木々の葉が落ちてよくないということで、木を伐(き)ることにしたそうだ。すぐ脇にはきれいな水が流れていて、少し上流には小さな滝もある。残された木を利用してツリーハウスなど作ったら面白いとか、小さな庵(いおり)を築いて薪でご飯を炊いたり、ピザを焼いたりするのもいいとか、勝手に想像を膨らましているのだが、そんな他愛(たあい)もない話に住職や奥様は耳を傾けてくれる。

大きな杉の切り株に座って息を整えていると、ハラハラと葉が舞い降りてくる。今ごろになると落葉する広葉樹があることを教えてくれたのは、20年以上前に借りていた古民家のクスの大木。「常盤木(ときわぎ)落ち葉」という風流な言葉があるのを知ったのは、それから大分たってからのことだ。

さてと、汗も引いたので薪割りに戻る。薪割りの何がしんどいかといえば、薪を割り台に据(す)えたり、割った薪を拾い上げて片付けること。いわゆる薪をさばく作業。伐ったばかりの木はとにかく重いし、節の場所や上下などを考えながら、その都度位置を変えなくてはならない。多くは戦後植えられたという立派な杉だが、たまにヒノキも混じる。

我が家の風呂は総スギ張り

ヒノキは建築材料として貴重なものとして扱われてきた。脂分があり、独特の香りを持ち、虫にも強い。文字通り火が付きやすいから、ヒノキといわれるという説もあるらしい。知り合いの大工さんは、立派な自宅を総ヒノキで建てる際に、全てをヒノキで作ると火事になるというジンクスを信じて、ほんの僅かの部材を杉にしたという。

一抱えもある丸太を据えてヨキを狙い通りに振り下ろすと、きれいな木肌が現れヒノキの香りが広がる。

ふと頭の中を、アントニオ猪木の入場テーマが流れはじめた。「ヒノキ、ボンバ家!ヒノキ、ボンバ…」。単純な作業はリズムを生む。こりゃいい調子の労働歌だ。ふと思いついて、割れたヒノキを1本持って帰ることにした。朝から作業を始めると、昼には足元が危うくなる。熱中症も心配だ。ケガをする前に引き上げるとする。

家に着くと、まずは汗を流す。我が家の風呂は総杉張り。最終的に石膏ボードと壁紙で覆われてしまう、今の「総ヒノキ造り」の住宅に異を唱える弟と作った風呂場だ。そこに持ち帰ったヒノキの薪を一本置いた。本来なら東京は今ごろ五輪一色。まさにアスリートのヒノキ舞台になっていたはず。よもやコロナの火元としてくすぶり続けようとは。湯船につかると、ヒノキの香りが湯気と共に立ち上がった。(画家)