「ひと・もの・かね」。NPO活動でも出るキーワードで、会社経営などにも必要です。第4の経営資源として「情報」が加えられることがあるそうです。ナレッジマネジメント。情報と知識、形式知と暗黙知という言葉があるらしいので、興味のある方は調べてみると面白いですよ。

法人だけでなく、私たち個々人も同じようなことが当てはまります。私の独自の表現ですが、情報に関して次の2つを講演やNPOの会員、クライエント(相談者)などに伝えることがあります。

① 知っていることと、理解していることは違うんだよ。

② 道具は使いようによっては、良い事にも悪い事にも使えるんだよ。

文章にすると当たり前ですが、わざわざ伝えることが多いという事は、①②の前半と後半を多くの人が同じものと捉えていて苦しくなっているのです。

まずは、①ですが、「知っていること」はテストに出たら答えられるけれど、現実には応えられない、行動できない状況です。「知っていること」を上手く使って、現実に対応できることを「理解していること」として区別した方が良いと私は思っています。

つまり、暴力はいけない、暴飲暴食はいけないとテストでは答えられる、もしくは人には説教できるけれど、実際には暴力も振るうし、暴飲暴食もしてしまう状態。これが、知っているけれど、理解できていない事と私は表現しています。

口では言えるけど、行動できない。「分かっちゃいるけどやめられない」というやつですね。

知っていることを理解するまで、または行動・習慣化するまで練習することが大切であり、そうでないと、学校のテストで先生は褒めてくれるかもしれないけれど、現実世界では苦しみが大きくなりますよと伝えたいのです。

蛇足ですが、人が行動していることにケチをつけて、さも自分の方が偉いという感覚を、知っている気分になっていると表現します。

②は、例えば、心理学とかカウンセリングとかの講座を受けるとか、資格を取るとかします。この知識は道具で、どの様に使うかで結果が全く別物になります。包丁が料理を作ることも、指を切ってけがをすることもあるのと同じです。

ちょっと知識を、すべてだと思って乱用する。今、不幸なのは過去にあった出来事のせいだとか、機能不全の家族だから不幸な人生が決定しているとかと、苦しむための道具として使ってしまう方が多くいます。

自分に使う人もいれば、友人やクライアントに使う人もいます。偉い先生が言っている(書いている)から、それは決定事項だと。

私からお伝えしたいのは、道具は目的のために使う要素の一つにすぎません。偉い先生が書いていることが全てで、それ以外の世界はないと決めつけないでください。よほど意地の悪い文章でなければ、そこに書いてあるのは、良くなるための項目があるはずです。その道具を、楽しむため、幸せのために使いましょう。(浅井和幸)