【コラム・奥井登美子】大正8年(1919年)、日本で大流行したインフルエンザ、いわゆる「スペイン風邪」と、今度の新型コロナが、同じような規模になるのではないかと、歴史的な注目が集まっている。

スペイン風邪は土浦でも流行し、奥井の祖父も第2波の大正8年2月、53歳で亡くなっている。父親の死で、アメリカの大学に進学する夢を挫折させられた姑(しゅうとめ)は、スペイン風邪が憎らしくて仕方がなかったらしく、生前、よくそのことを話していた。

「スペイン風邪のとき、消毒なんか、誰が町の指導者だったの?」

「巡査が、やたら威張りくさっていたわよ…」

「保健所は、なかったの?」

「保健所なんて、なかったわよ、すべて、お巡りさんの仕事でね」

「お巡りさんの産地は茨城だって、私の兄がよく言っていた。『オイ・コラ』は、茨城弁なんですって」

新型コロナも、23波が来る?

私の兄、加藤尚文(故人、評論家)は慶應大学の学生時代、学徒動員で土浦の海軍航空隊に所属。そこで何があったか知らないが、教官に頭を殴られて、3日間意識不明になったらしい。教官の話す茨城弁。特に土浦の言葉を、ものすごく怖がっていた。

「巡査の産地かどうか知らないけれど、巡査が威張りくさって、『ソコ退け、ソコ退け』と、石灰を道路にまいて歩いていた」

「石灰? 石灰が消毒薬だったの?」

「そう、クレゾールなんて消毒薬が出てきたのはその後だもの」

「おお石灰、オセッカイ? お節介だ。ワクチンもない時代ですものね、薬は何があったの」

「アスピリンくらいしかなかった」

第2波、第3波、たくさんの死者で、お棺が間に合わない騒ぎだったという。新型コロナも、2波、3波が来るかも知れない。(随筆家、薬剤師)