《食う寝る宇宙》3 キャリントンの日


イギリス、ロンドン。1859年9月1日。天文学者リチャード・キャリントン卿は太陽の黒点をスケッチしていた時に、黒点の近くに突然明るい光が輝くのを見た。

Carrington,R.C. Description of a Singular Appearance Seen in the Sun on September 1, 1859, Monthly Notice of the Royal Astronomical Society, 20(1859),pp.13-15.

上記は科学者が記録に残した「太陽フレア」観測の最初の論文です。

9月1日から2日にかけて、記録上最大の磁気嵐が発生し、世界各地でオーロラが観測されたそうです。アメリカロッキー山脈では、ゴールドラッシュでアメリカンドリームを夢見る鉱山夫の中には、外があまりにも明るく、朝と勘違いして朝食の支度を始めてしまった人もいるとか。アメリカ北東部では、夜中にもかかわらず、オーロラの明かりで新聞が読めたといった、逸話が残っています。

ボルチモアアメリカン・アンド・コマーシャルアドバタイザー紙の1859年9月3日号によると、「木曜の夜遅くたまたま外に出た人は、再びオーロラを目撃する機会に恵まれた。このオーロラは日曜日夜に見られたものと似ていたが、その光はより明るく色相はより変化に富んで豪華だった。光は明るい雲のように空全体を覆い尽くしていたが、光度の大きい恒星は不明瞭に輝いていた。オーロラの明るさは満月よりも明るかったが何ともいえず柔らかく、全ての物を包み込む繊細さがあった。12時から1時の間に明るさは最大となり、街の静かな通りはこの奇妙な光に包まれ奇観を呈する美しさがあった。ヨーロッパ及び北アメリカ全土の電報システムは停止した。電信用の鉄塔は火花を発し、電報用紙は自然発火した。電源が遮断されているのに送信や受信が可能な電報システムもあった

電報システムは、当時の最新テクノロジーです。初期の電報システムは「ツー・トン・トン」のモールス信号で情報伝達する仕組みで、1850年代には、地球の全周4万㎞に匹敵する電報システム網が北アメリカ、ヨーロッパを中心に完成していました。この電報システムに打撃を与えたのは、キャリントン卿が観測した太陽フレアをはじめとする「宇宙天気現象」でしたが当時は、原因不明でした。

同様の現象は、その後も度々発生し、人々は困惑しましたが、原因を突き止めるには、約20年の歳月を必要とし、1879年にイギリスのウィリアム・エリスが磁気嵐を起因とする地中を流れる電流の影響を示唆するのを待つ必要がありました。その後、対策のために通信システムや電力システムの技術者の頭痛の種となり現在に至ります。

現代社会の通信システムや電力システムへの依存度は当時と大きく異なります。「宇宙天気防災」という考えが必要であり、僕の研究モチベーションの源となっています。(玉置 晋)