宍塚に限らず、里山は40~50年前までくまなく利用されていました。薪(まき)や炭、建材、たい肥の材料を得る場所だけでなく、キノコや野草・薬草、また鎌や鍬(くわ)など農機具の部品を作る材料などを得る場所として、その地域で生きるためにはなくてはならない場所でした。

しかしガスや電気などの普及により、そしてまた、農業・暮らしが便利になればなるほど、里山への依存が減り、里山は顧みられないところになりました。人の手が加わり続けてきた里山でしたが、次第に見捨てられてゆきました。

毎年、下草刈り、落ち葉かきが行われていたのは宍塚も同じで、その時、藤などのツル植物を見つければ、「親の仇(かたき)」と切ったと地元の方から聞きました。現在放置された林には藤の太いツルが巻き付き、そういった木は絞殺し状態になり、太い樹木でも立ち枯れます。このようなみすぼらしい林が宍塚ばかりか方々の林で見られました。

宍塚の自然と歴史の会が、地権者から草刈りなど林の管理の許可を得て、下草刈りを始めたのは1990年です。当時、地権者が見ず知らずの一般市民に、林に入って下草を刈ることを許すことなど、皆無の時代。画期的な試みでした。場所は池のほとり、宍塚を散策する人たちが通る林でした。ヤマツツジや山百合が乱れ咲く林にしたいと活動を開始しました。

1980年代初めごろ、県南に広く起こった松枯れが宍塚の林の様相を一変させましたが、この林でも、ふた抱えもある松の倒木が林の林床に縦横無尽に倒れていました。下草刈りは草刈り鎌で、倒木を片付けながらの作業でした。また、これらの作業に加え、隣接する林は孟宗竹が密生する竹林で、容赦なく竹が林に侵入してきていました。そこで侵入してきた約200本の孟宗竹の片づけも同時に行いました。

当時のことが書かれた会の会報「五斗蒔(ごとまき)だより」を見ると、月2回、「雑木林のフレッシュアップ」名で行ったことが記されています。

現在では、ボランティア「里山さわやか隊」の名で、やはり月2回(第2・4日曜日)、活動しています。今では約40人の地権者の了解が得られ、里山内の方々で林の草刈り、樹木の伐採活動を行っています。刈り払い機やチェーンソーを使って作業が行えるのは、労働安全衛生法に基づいた安全講習会で資格を得た人たちです。それ以外の人たちは林の倒木や落枝の片付けを行います。

会の活動には、学生、企業の人たちも参加していますが、彼らには安全を確保しながら、刈った草の片づけ、倒木の片づけなどを行っていただいています。(及川ひろみ)