【コラム・古家晴美】先週末、スーパーのレジ近くに沢山のおはぎが並んでいましたが、お買いになりましたか? 2020年春の彼岸は、中日(なかび)の3月20日(春分の日)をはさんで前後3日ずつ、17~23日でした。

現在、店頭で販売されているものは、その多くが「おはぎ」とラベル付けされていますが、『茨城方言民俗語辞典』を見ますと、県南地方ではオハギは見当たらず、ボタモジ(現桜川市、取手市)やボタメシ(つくば市、土浦市、取手市)などが「おはぎ」として紹介されています。

また、この季節になると、春彼岸に食べるのが「ぼたもち」で、秋彼岸に食べるのが「おはぎ」と解説する記事や番組も目立ちますね。確かに、季節的違いにより使い分ける地域もあるのですが、全国的に言えるものではなく、片方の呼称しか使わない地域もあります。

また、小豆餡(あずきあん)の「ぼたもち」と黄な粉やゴマをまぶした「おはぎ」(大正末期の水戸周辺、静岡県引佐群など)、もち米をつぶして握った「ぼたもち」と、つぶさず握った「おはぎ」(新潟県古志郡)など、材料や調理法で使い分ける例も報告されています。

阿見町大室では現在でも、お彼岸になると「ぼたもち」を作るお宅があります。炊飯器で炊いたもち米を皿によそい、その上に自宅で煮たつぶし餡を載せます。この地域では、「ぼたもち」は丸めずにこのような形で食べることが多いようです。地元では「おはぎ」と言う呼び名はあまり使いません。

60年前までは「漉し餡」

ダンゴツキの回(2019年9月25日掲載)でもご紹介したように、現在はつぶし餡が広く流通していますが、こちらでは、60年ほど前までは農家で自家用に作る場合でも、ほとんどが漉(こ)し餡だったそうです。作った経験のある方はよくご存じだと思いますが、漉し餡はつぶし餡と比べると数倍の手間と時間がかかります。

茹(ゆ)でた小豆をつぶして数回裏ごしし、何度か水に晒(さら)して布に包んで絞るという、根気のいる作業です。これは時間にゆとりがあるお年寄りたちの1日がかりの仕事でした。

ぼたもちは、お彼岸以外にもミツメノボタモチと言って、産後3日目の産婦に食べさせ出産祝いに配ったり、死後35日の法事に作って、死者が剣の山を登る時に足を滑らせないようにと、草鞋(わらじ)でぼたもちを挟んで墓に供え、参列者に振る舞ったりしました。

同様の例は、かすみがうら市、行方市、つくば市でも行われていました。このほかに、田植えを始めるウエソメや田植えが終わったサナブリ、稲の収穫が終わったカリアゲ、麦播きをすませたマキアゲの際にも、ぼたもちを作って食べる習慣がありました。お餅を搗(つ)くほどではないけれど、祝いたいような機会に作られてしていたようですね。(筑波学院大学教授)

➡古家晴美さんの過去のコラムはこちら