【コラム・斉藤裕之】さて、期せずしてロングバケーションとなった弥生3月。こういう時はとりあえず体から動かす。体を動かせばやがて脳も動く。

というわけで、かねてから訪れる約束をしていた八郷の友人宅へ。目的はその友人宅の裏手にあるお寺さん。急に信心深くなったわけではなく、敷地内で伐り倒した木をいただきに来た次第。出迎えていただいたかわいらしい奥様に案内され、ご先祖が植えられたという敷地内の大きなフクレミカンの木々を拝見。

「納骨堂をご案内しますよ」「はあ」。お寺の由来などをうかがいながら、裏の林を抜けると急に視界は開ける。春の筑波山系を見渡すその場所に現れたのは、直径10メートル余りの円弧状の建物。コンクリート打ちっぱなしのモダンな姿は小さな現代美術館のようだ。

中に入れていただくと、天窓からやさしい光。緩やかに描く壁の曲線には、例えはよくないが、銭湯の木製ロッカーに似た杉の扉が美しく並んでいた。奥様は何の躊躇(ちゅうちょ)もなくその一つを開けて、「この方は若くして亡くなられてねえ…」と、この納骨堂について語り始めた。

医者、弁護士、坊主、あん摩、パソコン上手…

世間でよく聞く墓の問題。「死んだら墓はいらんけえ、海にでも撒いちょけ」。これが私と弟の口癖。お互い娘2人。守るべき土地も屋敷もなし。そして墓も不要。生きてるうちが花。その信念は今でも変わりないのだが、この納骨堂を案内されて初めて、「こういうところだったらアリかも?」と思った。

つまり、入る方ではなくて、残された方の気持ちを考えたときに、「参る」場所ではなくて「会う」場所としては実に心地よい。巷(ちまた)ではeスポーツなるものが昨今話題となっていて、断じて私は認めないが、将来「e葬式」や「ウェブ墓地」「ネット法事」などは確実にありえるだろう。いやもうすでにある?

そうこうしているうちに、ご住職登場。これまたお優しそうな方で、聞けば私の一つ上。おまけに今年から髪の毛を伸ばし始めたということで、昨年長い坊主頭生活にピリオドを打った私としては、何かご縁を感じずにはおれない。それに加えて、親父の生前の口癖が甦る。

「人生には3人の友が要る。ひとりは医者、そして弁護士、それから坊さん」。この言葉の真意あるいは出典については深く考えたことはなかったが、この3つの職業に共通しているのは、人の不幸を飯の種にしているということ。いや、人の弱きときに必要であるということである。「困ったときに頼れる友を持て」という意味か。

さてと、そろそろ本来の目的に。伐り倒された山桜や樫を、チェンソーで手で運べるような大きさに切って、軽トラに積む作業。それにしても、伐って間もない幹は見た目より相当重く、足腰が悲鳴を上げている。

生憎(あいにく)というか幸いというか、医者や弁護士と仲良くなることのない暮らし。恐らくこれからも友人になることはないと思うが、是非とも4人目の友には、腕のいいマッサージ師を加えておこう。あとパソコンに強い人ね!(画家)

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