【コラム・斉藤裕之】誠に不謹慎ながら「学級閉鎖」というものに憧れさえ持っていた。しかし子供のころは少々の熱があっても学校に行かされたし、そんなことでへこたれるようではいけないと教育された。おまけにインフルエンザの検査なんかもなかったので、出席停止などという制度もなかった。だから「学級閉鎖」はテレビや新聞の中のどこかよその国の言葉のようだった。

ところが、首相の一言で学級どころか日本中の学校が突然閉鎖されてしまった。相手は目に見えない未知のウイルスである。それも、なんとも正体不明のやりにくい相手だ。この見えざる敵に政府以下も振り回され、そのドタバタぶりに批判もあろうが、簡単に人を死に追いやるほどの強力な敵でないのがまだ救いか。

それにしても集会やイベントはことごとく中止。ついにはあのアミューズメントパークさえも休園となる中、中止という知らせがなかったのは女化(おなばけ)神社で開かれる初午(はつうま)である。

初午とは2月の午(うま)の日に、稲荷(いなり)と稲成りの語呂(ごろ)合わせからか、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って開かれるもので、女化神社では食べ物から農具や刃物などの店が並ぶ市が立つ。私が毎年楽しみしているのは、意外かもしれないが「めざし」である。ちょうどいい大きさの、絶妙な干し具合の美味なめざしを売る店があって、まさにそこをめざして行くのである。この自粛のご時世の中、初午中止の知らせはついになかった。

マスク教の信者にならないように

 当日は雨の予報だったので、朝早くに神社を訪れた。食べ物や雑貨の露店はいつもより少な目に思えた。

案の定、お目当てのめざし屋はいなかったので、代わりに豊洲から来たというおやじの店でシラスを買った。一緒に行った友人は、出店準備中の籠(かご)屋の老夫婦から二つばかり籠を買った。聞けば、埼玉の深谷から来ているとのこと。私はシュロの箒(ほうき)を買った。厄(やく)を掃き飛ばす?縁起物だとこじつけながら。値段はそれ相応で、決してカミさんに言えるほど安くはなかったが。

帰りに、すぐ近くのお茶農家の澤ちゃんのところに立ち寄って、美味しいお茶をいただきながら、買ってきた大判焼きをほおばった。澤ちゃん曰く「昔は大型バスが何台も来るぐらいのお祭りで、お店もいっぱいだったんですよ…」。実は、毎年恒例の「沢田茶園、新茶摘みとピザ」のイベントを中止したい旨のメールを、昨日、澤ちゃんからもらったところだった。

さて、新型コロナ(正式名称は発表されたが誰もそう呼ばない)の一日も早い収束宣言を願うばかりだが、人は学ばない。子供たちには学校が休みだったという思い出とともに、今起こっている事実を冷静に論理的に理解し行動する術(すべ)をこの際学んでほしいと思う。トイレットペーパーを買い漁る大人や、非科学的なマスク教の信者にならないように。

それから、初午にも行ってほしいと思った。もともとはハロウィンのような歳時記(さいじき)でもあるらしい。今年は3月の中旬に二度目の午の日がある。(画家)

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