【コラム・堀越智也】相次ぐ有名人の薬物事犯について、心を痛めたり、怒りを覚えている方は多いでしょう。そのスポーツ選手の活躍で勇気づけられ、その歌手の歌で励まされた、ということであれば、なおさらでしょう。僕も心を痛めている1人。覚せい剤のような依存性のある薬物は、使用した人の人生を奪い、僕らの「財産」も奪うからだ。

有名人の事件であれば、ニュースやワイドショーでもその有名人に焦点が当てられて語られがちだ。しかし、刑罰の役割については、細かい話は学者でも意見が分かれているので割愛するが、犯人に同じ痛みを与える応報だけではない。特に覚せい剤は、これだけ同じ人が繰り返していることから、その人を責めるだけでは何の解決にもならないことは明らかだ。

僕が初めて担当した刑事事件も、覚せい剤取締法違反だった。それ以来、毎年何件も覚せい剤取締法違反の弁護をしてきた。そこで思うのが、今の科学や医学で、覚せい剤の再犯を防ぐのは至難の業だということだ。よく、本人が止めようと思っても、体が覚えているという表現をされることがある。それだけ止めるのが難しい、恐ろしいものなのだ。

覚せい剤がなければ犯さない罪

薬物事犯は、覚せい剤が存在しなければ犯さない罪である点で、窃盗や傷害や殺人と比べ、特殊である。だからといって、使用した人を責めることを否定するつもりはない。ただ、薬物事犯を語るのに、使用した人にフォーカスを当てる以外の切り口があった方が、建設的な議論ができるのではないかと思う。

覚せい剤を世の中から無くす努力も、覚せい剤を使用した人が二度と使わなくなるための医学的な努力も、多くの人にとって容易なことではない。だから、影響力の大きいメディアは、使用した本人以外にもフォーカスを当てることで、僕らの「財産」が奪われるのを防ぐことに、一翼を担ってほしい。(弁護士)

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