《好人余聞》1 「ノーチラス」

「ノーチラス」のマスターが描いたイラスト

オダギ秀さん

夏休みの暑い日。小学生だったボクは、亀城公園近くの、堀端にあったお船松という大きな松の木の傍でちょっと休んだ。公園の横には、高い石塀で囲われた拘置所があった。その近くを通るのは、子どものボクにはちょっと怖かった。だからその先の図書館を目指していたボクは、一休みしたのだ。

ボクは、その先の、警察署の前の木造二階建ての図書館で、毎日夢中になって、ジュールベルヌの「海底二万哩」を読んでいた。その本は、1870年という古典的なSFなのに、すごい性能の潜水艦が登場して、ワクワクする夢の冒険潜航を続ける話だった。ボクはその潜水艦に夢中になったが、その潜水艦の名前はノーチラスと言った。

そんな日のことを突然思い出したのは、「ノーチラス」という看板を見たからだ。懐かしさに、思わずドアを開けた。ジャズカフェ「ノーチラス」は国道沿いの目立たぬ店で、蝶ネクタイをした穏やかなマスターが、少しボリュームを上げたジャズを流しながら,香り高い珈琲を炒れていた。

「15年ぐらい前でしたか、たまたま阿見町でお昼を食べてる時に、ジャズプレイヤーの生クラリネットを間近で聴いたんです。素晴らしかった、感動しました。はまって通い始めましたよ」 語り始めたマスターの山本哲夫さんは、その頃、家業を継いで忙しく建材の販売をしていた。その彼が、仕事の傍ら、生のジャズにのめり込んでいったと言う。

ところが、そんな山本さんは、4年ほど前、大きな病で倒れ、入退院を繰り返した。「何もできない。コタツに入って、ただじっと、テレビを見て過ごす生活になりました」 参りましたよ、と山本さんは言うが、この、多忙の後に訪れた休息のような時間が、彼に、大きな転機をもたらした。

「何もできずゴロゴロしている私に、妻が、ジャズカフェの図面描いてみたら? って言ったんですよ。えっと思ったけど、図面を引き始めてみたら、これが楽しくて、楽しくて」

奥さんは、彼の気持ちを見抜いていたのだろう。病は辛かったが、病が、夢を実現に向かわせた。「ピアノを置く位置とか、スピーカーをどうするかとか、カフェのこと考えていると楽しくてねえ」

それで、このジャズカフェノーチラスが、2014年5月、オープンしたと言う。お店がオープンすると、彼は早速、ジャズライブもスタートさせた。「毎月、ライブしてます。すると、ジャズなんか聴いたことなかった人がファンになってくれたりして。回を重ねるごとに、順調に定着して行くのが嬉しくて」 山本さんは、たまらないという笑顔を見せた。

「ノーチラスって、オウム貝のことなんです。進化はしないけど、4億5000万年も生き続けている。しかも浮き沈みする仕組みは潜水艦と同じなんです。この店は、私にとっては今、ジュールベルヌの潜水艦、夢を載せてくれるノーチラスみたいなもんです」 山本さんは、艦長のような顔で笑った。

話を聴いていているうちに、ボクの珈琲がちょっと冷めた。でも、クラリネットの音色に包まれた珈琲は、やっぱり美味しかった。(オダギ秀)

▽ジャズカフェ「ノーチラス」:阿見町阿見79 電話029-887-0375

【おだぎ・しゅう】本名は小田木秀一。早稲田大政経卒。写真家。高度な技術に裏付けられたハートフルな写真に定評があり、県下写真界の指導的立場にある。専門はコマーシャルフォト全般およびエディトリアル。㈳日本写真家協会(JPS)会員、㈳日本広告写真家協会(APA)会員。水戸市生まれ、土浦市在住。

山本哲夫さん