【コラム・斉藤裕之】「見なさい自然は完璧だ」。ダビンチはそう言ったとか言わないとか。そういう意味ではムダ毛と呼ばれる毛はないはずなのですが。

あまり毛深くない私は、髭剃(ひげそ)りの宣伝なんか見ると、毛深い人は大変なんだろうとお察しますが、それでも鼻毛なんかはそれと関係なく伸びてきます。専用の小さなはさみで切るのですが、どうも左右均等に切れていないような気がして。

というのも、切り終わってしばらくすると、左の鼻の穴の内側上方にかすかな違和感を覚えます。指で触って思い切ってグイっと抜いてみると、丁寧(ていねい)に切ったはずなのに長い毛が。大人の鼻毛ほど可愛げのないものはないですね。ふてぶてしいというか、いけしゃあしゃあと野太く育っていて。

そこで思い当たるのが美術の授業。正円や楕円を描く時に、右利きの人は時計回りの形が膨(ふく)らみ左回りにへこむ傾向があります。描いた図を回転させてみるとよくわかります。要するに、鼻毛が左右均等に切れないのと、円を描いた時の左右非対称との共通の理由はこの右手にあるのではないかと。

例えば陸上競技のトラックが左回りなのは、右の筋肉が強くて自然に左方向に曲がるのだとか。よって、オートバイの事故は曲がりにくい右カーブが多いとか聞いたことがあります。

線の引き方からから、ダビンチは左利きだったことが知られていますが、学校では1クラスには平均2、3人の左利きがいると思います。手足や目、耳や鼻の穴まで利き側があるそうで、確かに風邪をひいて鼻が詰まった時に、左しか詰まっていないのに鼻で息をすることができないことがあって、私の利き鼻の穴は左なんだと実感したことがあります。

これからも右往左往の人生?

それから脳みそにも右と左の役割があって、手の指の組み方で右脳派とか左脳派とか言われたり。また主義主張にも右や左があるなんてことは、何となくみんなが幸せになればいいなあと呑気(のんき)に生きていた私には難しいお話なのですが、ふと原稿を書いていて思ったのは右という漢字の書き順について。

左が横棒からというのに対して、右という字が縦画から始まるのは円を描く時のふくらみとへこみに共通したものを感じます。顔の左右も然り? いずれにしても人間にとって「左右がある」というのは実は不思議な事象なのかもしれません。

18歳で右も左もわからない東京に来て、満員電車なるものに揺られる中、目の前に迫るおじさんの耳に、ごっそりと毛が生えているのを見つけた時の驚き。ところがある日、なんだか耳の穴がごそごそすると思って触ってみると、自分の耳にも毛が生えているのを確認した日のやるせなさ。

多分これからも右往左往しながらの人生。とりあえず左の鼻の穴の毛は左手で切ってみようかと思います。(画家)

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