【コラム・先﨑千尋】那珂市古徳の「総合センターらぽーる」で17日、戦時中に22歳で亡くなった日本画家、寺門彦壽(てらかど・ひこじゅ)の作品展が開かれた。彦壽は那珂郡静村(現那珂市)出身で、茨城が生んだ日本画の巨匠、横山大観が「天才少年」の折り紙を付けた。昭和16年(1941)、東京美術学校(現東京芸術大学美術学部)を首席で卒業し、研究科に進んだが、同年6月に徴兵検査を受けた後、盲腸炎で亡くなった。これから画家として世に出ようとした矢先、突然の病魔が彼を襲った。

彦壽の作品は、死後に同窓生が開いた遺作展のあと、長いこと生家の蔵にしまわれたままで、世間に知られることはなかった。

昨年暮、私は同じ寺門姓の洋画家、寺門幸蔵の生家を調べていた。知り合いの直子さんから、「幸蔵はうちではないけれど、叔父の彦壽の絵がある」と言われ、作品を見せてもらった。絵は、小中学校や美術学校時代に描かれたもの数十点が保存されていた。また、日記や下絵、スケッチブック、落款(らっかん)なども数多くあった。

彦壽が遺した絵は、ふるさとの風景や草花、人物画が大半で、優しい色合いと克明な描き方が特徴。同窓生が遺した手記には「水戸中学5年の時に茨城美術展に出品した作品に対して、審査員の横山大観画伯から天才少年の折り紙をつけられた」とある。生家には、大観が彦壽を養子にしたいと訪れた、という話も伝わっている。

蔵から見つかった作品の中には傷みが激しいものもあり、当主の直子さんは今後の管理が難しいと考え、市への寄贈を決めた。そしてすべての作品を旧知の記録写真家、柳下征史さんに撮ってもらい冊子にまとめ、地元の人たちに作品を見てもらおうと考えた。

幸い、瓜連まちづくり委員会が毎年開いている「瓜連ふれいあい祭」の一環として彦壽の作品展を組み入れてもらうことができ、1日限りの作品展が開かれる運びになった。

近くにこんなすごい人がいた

今回展示された作品は、小学校時代に制作された「水辺の少年たち」や新美術展入選の「少女と春」「田端駅風景」など20点と中学時代の習作、スケッチブック、日記など。展覧会当日は開室前から行列ができ、ひっきりなしに見物客が訪れた。市内だけでなく、北茨城市、筑西市、取手市、つくば市などからも大勢の来場者があり、700~800人になったと思われる。

私が最初に彦壽の絵を見たとき、戦没兵士の絵を集めて展示している長野県上田市の無言館を思い出した。そして「こんな素晴らしい作品を埋もれたままにしておくのはもったいない。彦壽も無念の想いだったに違いない。まず地元の人に見てもらい、近くにこんなすごい人がいたということを知ってもらおう」と、那珂市歴史民俗資料館などの協力を得ながら、作品展の準備を進めてきた。

文化勲章を受章した日本画家の東山魁夷や杉山寧は、美術学校で彦壽の少し先輩だった。彦壽が盲腸炎にならなければ、素晴らしい画家になったと思うと、やはり残念でならない。

私の今回の発見はたまたまだったが、どこでも埋もれた「お宝」はあるはずだ。それを見つけるのは、そこに住んでいる人。玉は磨いて光らせたい。そう考えている。(元瓜連町長)

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