栗原亮さん

昭和40年代、茨城県内では多くの博物館が建設された。県が設立した県立歴史館、市町村では水戸市立博物館、日立市立博物館、土浦市立博物館、土浦市立考古博物館、かすみがうら市歴史博物館、古河歴史博物館など。そのほか、北茨城市歴史民俗資料館(野口雨情記念館)、那珂市歴史民俗資料館、龍ケ崎市歴史民俗資料館、稲敷市歴史民俗資料館、八千代町歴史民俗資料館などがある。

博物館は、歴史に関する古文書、古写真、考古資料など様々な資料を保存し、後世に伝えていく役割も持っている。その意味で、過去、現在、未来にわたり、われわれの歴史的体験を大人から子どもまで伝えていく役割を持っている。現在に生きるわれわれは歴史の一コマを生きていくのであり、決して無に過ごしていいわけではない。歴史資料を後世に伝えていくことは、一人一人の生きる責任とでもいうべきものであろう。

歴史資料というと、貴族や武士、庄屋などが保存してきた資料だけではなく、庶民の家にはその家に関する資料が多く残されている。だが、こうした資料に関心が向けられることはなく、家の改築の際に処分され焼却されたりすることが多い。これは歴史教育が政治史や経済史に偏るとか、歴史への関心の低いことが原因であろう。

博物館のある市町村以外に、郷土資料館のある市町村もあるが、その規模は大きくなく、収蔵倉庫も小さく、貧弱なものである。問題なのは、つくば市である。

つくば市は学園都市と言われ、多くの留学生が住み、今や国際都市である。にもかかわらず、博物館は一つもなく、旧谷田部町などに郷土資料館があるのみ。常時公開されているわけではない施設もあり、規模も小さい。つくば市に国立公文書館つくば分館はあるが、歴史資料を保存し公開する施設がないのは、いかがなものであろうか。市議会議員からも、博物館建設を訴える話も聞こえてこない。

江戸時代、つくば市には大名がいた居城(城跡)はなく、いわば在村であり、消費都市江戸を支える農村であった。その関係で武家文書はほとんど残っていないが、多くの村方文書が残っている。昭和40年代、立正大学古文書研究会が桜川流域の江戸時代の古文書調査を行ない、現地の公民館でその内容を公開してきた。この研究会は、村方文書を東京の国文学研究資料館や博物館に移管するのではなく、資料を現地に残し活用するという方針で活動してきた。

その村方文書が危機に晒されている。個人所有だと保存に手が回らず、土蔵が壊れて古文書がダメになる。こうした古文書を博物館に移管し、修復を加え長期保存し、公開していくことを、つくば市の教育委員会や市長、議員の方々に強く訴えたい。(栗原亮)

【くりはら・りょう】土浦一高卒、中央大経済卒。1976~2010年、霞ケ浦高で世界史と日本史を担当。「新治村史」「図説 土浦の歴史」「牛久市史」「八郷町史」の編纂に参画。旧常陽新聞で「江戸時代とは何か」を連載。著書に「忠臣蔵の真実」(常陽新聞新社、2012年)、「近世村落の成立と検地・入会地」(岩田書院、2013年)。土浦市出身・在住。71歳。