【コラム・瀧田薫】2019年9月号の「中央公論」は、「戦争をしないための新・軍事学」と銘打った特集を組んだ。一昔前であれば、「きな臭い過激なタイトル」として、それなりに耳目を引いたかもしれない。しかし今では、戦争を論じ、軍事を語るについて、昔とはまるで環境が違っていて、タブーというものがないかのような状況だ。編集者としては、米中、日韓の衝突といった時事的な背景もあり、「今月号の特集タイトルは売れそうだ」との予想を立てたかもしれないが、期待外れに終わるだろう。

ともあれ、この特集号は総じて面白い内容でまとめてあり、雑誌の編集としては成功していると思う。とりわけ、特集冒頭の鼎談(ていだん)「徴兵制を議論せずに、平和は語れない」(刈部直氏、三浦瑠理氏、渡辺靖氏)と佐藤優氏の対談「若者は本当に保守化しているのか」(相手は古谷経衡氏)、それに牧野邦明氏の論説「高橋亀吉と石橋湛山から戦争回避の方法を探る」、以上の3本は今の日本の状況を考える上で一読の価値がある内容だと思う。

冒頭の鼎談と佐藤氏の対談は、実は同じテーマ「今どきの若者と教育」を扱っている。ただし、それぞれ話題にしている「教育」の目指す方向はまさに真逆といっていい。前者においては、特に三浦瑠理氏において際だっているが、「個人よりも国家に優先的価値が与えられた論理構造」のなかで若者と(公)教育の問題が語られる。これに対して、後者においては、特に佐藤氏において、「天下国家を論じない若者とその教育」が語られている。

合理性に基づき政策を実行する制度設計

そこで、この鼎談と対談とを比較しながら合わせ読みしてみると、国家あるいは政府の側では、「徴兵制」すなわち「若者の動員」をどう実現するか、そのための教育方法まで含めて現実の課題として検討されているのに対し、肝心の若者の側はその事実にまったく気づいておらず、佐藤氏の言う「生活保守」に閉じこもっている現状が浮き彫りになる。

佐藤氏によれば、日本の若者は、厳しい環境に萎縮し、内側にばかり向かい、与件のなかで何ができるかばかり考えるようになっているという。当然、政治には無関心あるいは政治的に無色であり、権力の側からすれば、操作し易い対象と見なされる。佐藤氏はこうした若者の現状を憂えて、「歴史に学ぶ」事の大切さを説く。

ちなみに、牧野邦明氏の論説「高橋亀吉と石橋湛山から戦争回避の方法を探る」は、石橋湛山の事績を通して、国家レベルの意思決定のあるべき形を論じている。石橋は戦時中、勇敢にも、「国家を繁栄に導くのは、目の前の損得だけで物事を判断する合理性ではなく、広範かつ長期に渡る視点からの合理性である」と言い、こうした合理性に基づいて政策を実行するような制度を設計することの大切さを繰り返し説いたという。佐藤氏であれば、こうした内容の論説こそ、学生向けの歴史教育の教材に相応しいと言うだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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