【コラム・沼尻正芳】昨年の夏、朝焼けする富士山を見に行った。富士吉田市の宿を午前3時に出て、自衛隊北富士演習場に車で向かった。演習場の中はまだ真っ暗闇で富士山を臨めるところを探していると、いくつかの光が見える場所があった。光を頼りにしてそこに到着すると、カメラを持った人たちが集まっていた。

夜明け前の北富士演習場は防寒着が必要なほどで、寒さに震えながら日の出を待った。少しずつ空が明るんできて、富士山のシルエットがはっきりと見えてきた。その日は運よく快晴、富士山が徐々に赤くなってきた。太陽の光をいっぱいに受けて、やがて山も草原もすべてが赤く染まった。初めて見た赤富士に心が躍(おど)った。この赤富士を絵にしたいと思った。

私はここ数年、筑波山を描いてきた。富士山もいつかは絵にしたいと思っていたが、富士山を描くのはまだ先だと考えていた。赤富士に出会ったことで、その考えが一変した。そういえば、西の富士、東の筑波という言葉がある。奈良時代に編纂(へんさん)された常陸国風土記には、富士山と筑波山の伝説がある。

「祖先である神が諸国の神々を訪ねて回ったとき、富士山に着いて日が暮れてしまった。泊めてほしいと富士山の神に頼むと断られた。祖先の神は悲しんで『私はおまえの親なのに、おまえの住む山は冬も夏も雪に覆われ寒くて人が登れない山になるだろう』と言った。先祖の神はそれから筑波山に登り、泊めてほしいと頼んだ。筑波山の神は食事を用意し、優しくしてくれたので先祖の神は喜んだ。そして、『筑波山には人が集まり、神とともに食べたり飲んだりできる豊かな山になるだろう』と歌をうたった」

通俗的にならないよう工夫

日本を象徴する世界遺産の富士山とふるさとの筑波山。日本百名山の中で標高日本一の富士山と標高が最も低い筑波山。筑波山からは富士山を望めるが、富士山から筑波山は見えるのだろうか。富士山と筑波山を対等に語ることは身びいき過ぎると思うが、東の筑波山と西の富士山を併せて描いていくのもよいかもしれない。

家に帰って赤富士の構想を練り、初めて富士山を油彩で描いた、朝焼けで真っ赤に染まった赤富士は数日で仕上がってしまった。筑波山の絵はいつも悪戦苦闘して描いてきたが、赤富士の絵はなぜかすんなりと出来てしまった。その後、さらに夏の富士山を描いた。次は、雪をまとった冬の富士山も描こう。

冬になって、わくわくして富士山巡りに出かけた。富士五湖からの富士山、忍野村から臨む富士山、雪化粧の富士山は実に美しい。感動的だった。富士山はやはり雪が最高に似合う。流れる雲に時々顔を隠すこともあったが、変化する雲もとても魅力的だ。

富士山は多くの画家が絵にしているが、一目で富士と分かる。日本で一番の絵になる山だろう。だからこそ、富士山は通俗的にならないように表現を工夫していかなればならないと思った。本物の富士山の迫力にはただただ圧倒されるが、自分なりの富士山を表現したい。富士山も筑波山も、自分らしい表現を目指して、これからも共に描いていこうと思う。(画家)

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