【コラム・高橋恵一】アニメ制作の京都アニメーションのスタジオビルがガソリン放火され、35人も犠牲になり、1カ月経っても未だ生死の境をさまよっている方がおられるという悲惨な事件が起きた。

74年前の広島では、京都事件の4千倍の犠牲者を出した原爆が落とされた。放火した犯人も、原爆の発射ボタンを押した兵士も、具体に「どの個人」を殺傷するかを知らないまま、殺人スイッチを押したことになる。

京都では、出火直後に消火作業にかかり、被害者の救済治療にもあたったが、各個人を判別するのに数日間かかるほど、被害者の損傷はひどかったようだ。広島では、人の影しか残らないほどの熱線で焼かれ、消火も救済治療の体制もなく、おまけに放射能の影響で後遺症も残すという、想像を絶する地獄のような被害が生じた。どちらの場合も、被害者にとっては理不尽で、納得のゆくものではない。

戦争で相手を個人として認識しないまま、殺したり殺されたりする現象は、武器の大型化、高性能化から可能になった。それは、第1次世界大戦からであろう。ナポレオン戦争までは、戦場を「見学」することさえあって、戦闘にかかわらない一般人に積極的に危害を加えることも基本的にはなかった。

しかし、第1次大戦では、高性能化した機関銃、大砲が使われ、地雷も、飛行機も、戦車も、潜水艦も、毒ガスも登場し、4年半の戦争期間中に、その破壊力も飛躍的に高度化して、一般人も巻き込まれた。大戦終了後、このような戦争が続けば人類は滅亡してしまうと多くの人が考え、いわゆる「最終戦争」として、軍縮条約や国際連盟も発足、世界平和が訪れるかと期待された。この最終戦争、第1次大戦が終わったのが1918年。今年はその年から101年目になる。

「ゲルニカ・重慶・広島」

しかし、人類は30年も経たないうちに、第2次大戦に突入してしまった。第1次大戦の経験から、戦争は総力戦であり、戦闘員や軍組織だけを攻撃するのではなく、戦力の基盤である産業施設、さらに生産を支える民間人の生活する都市までもが攻撃対象にされるようになった。

「ゲルニカ・重慶・広島」という言葉がある。無防備の一般市民を無差別に殺戮した爆撃であり、被害者が、2千人⇒2万人⇒20万人(当時)と、4年ごとに10倍になった。戦争が非人道的な行為に慣れて、攻撃が際限なく拡大した悪魔の行為を糾弾する言葉である。ゲルニカや重慶の延長にドレスデンや広島・長崎があり、原爆投下を擁護する考えもある。しかし、被害者の大部分は非戦闘員の一般市民であり、理不尽な死に至ったことに差異はない。

最近、当局の情報漏れで、NATO(北大西洋条約機構)にICBM(大陸間弾道ミサイル)が150基配備されていることがわかった。ロシアでは、核実験の失敗による放射能汚染の情報もあった。武器の高度化は際限なく続き、京都事件の4千倍をはるかに上回る威力の核爆弾が開発され、それを地球の隅々まで運べるミサイルもある。

いざという時の備えだと言いながら、発射ボタンを押し間違えれば、人の住む都市が消滅してしまう。京都事件の無限大の倍数の人間が、理不尽で納得できない死の危険にさらされているのだ。最終戦争から101年目になっても。(地図愛好家)

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