《雑記録》1 筑波メディカルで九死に一生を得た話


瀧田薫さん

【コラム・瀧田薫】4月26日、私は自宅で倒れ、1昼夜経って気づいた時は筑波メディカルセンター病院(以下メディセンと略)のベッドの上だった。病名は「髄膜炎(ずいまくえん)」。何の兆候もなく、ある日突然病魔はやってきた。今、私は命長らえて、後遺症もなく仕事に復帰している。

ドクターや身内の話では、私の生還は「奇跡」に近いものらしい。せっかく助けられた命である。一患者の立場から、どのような条件と因果に導かれて私は生還したものか検証してみようと思う。後日、誰かの役に立つかもしれない。(なお、メディセンが公表している公益財団法人医療機能評価機構=以下、機構=の評価結果を参照した)

検証1. 救命救急センターの存在

メディセンの救急センターは、いわゆる3次救急患者まで受け入れる最高レベルにある。当然、多様な重疾患を扱った経験の蓄積があり、機構の評価もそれを裏打ちしている。さて、私の場合、待機していてくれた経験豊富な医師による髄膜炎の診断と処置がギリギリ私の救命に成功したということだろう。

この時のスピードが私の生死を分けたと思う。一般論として、患者は搬送先病院で受ける救命措置の質を選択できない。その質が患者の生と死を分けるとすれば、「私の場合は運が良かった」で済ませられる話ではないと思うのだが、どうだろうか?

検証2. 総合診療科ドクターチームの役割

入院した時点で、私の治療は総合診療科の3人のドクター(治療全般を統轄するスーパーバイザー、連動して動く若手のドクター、それに研修医)で構成されるチームに任された。このチームの効用は、患者の治療をしながら、同時に若手医師の教育・訓練が出来るところにあったと思う。実際、若手ドクターと研修医が熱心かつ丁寧(ていねい)に私のケアに当たってくれたのだが、そこには患者に対する責任感だけでなく、治療を通じて学び、経験を積もうとする彼ら自身のインセンティブが働いていたと想像する。

当然、ドクターの熱意は患者に伝わり、患者のドクターに対する信頼感も深まる。私の場合、患者としてこのチームに参加したかのような感覚さえ覚えた。機構がメディセンの「患者本位の医療」に高い評価を与えているのも宜(むべ)なるかな、チーム医療がもたらす安心感と居心地の良さは私という患者にとって何よりのことであった。

検証3. メディセン・システム

メディセンにおいて、医療と教育の複合システムは、医師だけでなく、看護師、理学療法士、作業療法士、介護士、さらに管理栄養士まで、院を構成する全職員をもらさず取り込むネットワークとして貫徹されていたように思う。各パートが、患者1人1人の病態を共通の認識とするためであろう、常に話し合い、調整し合い、スーパーバイザーの指示を仰いだ上で、その日その日の治療方針、手順が患者に示される。それが実に自然な流れとなっている。

私の率直な感想を言えば、ここまで現代の医療は患者本位の進んだものになったのかという驚きがあった。他方、これはメディセンだから実現し得た特別のシステムかもしれないとも思った。いずれにしろ、このシステムを担っている個々の職員の負担が軽いものであるとは到底思えない。患者本位の医療の提供と職員の負担軽減、この一見相反するベクトルの折り合いをどうつけるか、それがメディセンの課題なのかも知れない。

総括

本サイトのコラムニスト坂本栄氏が、土浦・つくば地区の住人は恵まれた医療環境下にあると指摘されているが(4月15日掲載)、私の今回の経験は、この指摘の正しさを追認するものであった。

同時に、メディセンとそれを背後で支えている諸々(もろもろ)の医療機関の連携システムの重みも垣間(かいま)見ることができたと思う。患者本位の病院づくりを志した医療のプロが集まって何ができるかを考える時、メディセンは一つの到達点であると同時にさらなる可能性を示唆しているようにも思う。今後、優れた医療環境の恩恵に浴することができる患者がこの地域を越えて着実に増えていく、そんな未来を夢みたいと思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

【たきた・かおる】1947年生まれ土浦一高卒。1976年、慶応義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。同年、茨城キリスト教学園に入り、茨城キリスト教短期大学学長、茨城キリスト教大学教授、学園常務理事を歴任。2016年、定年退職。現在、同大兼任講師、茨城キリスト教大学名誉教授。中学2年のとき、V.フランクル著「夜と霧」に衝撃を受ける。当時の安保闘争・学生運動になじめず、その反動か「政治学」を志す。土浦市在住。