《県南の食生活》2 たん貝 昔は霞ケ浦湖岸の日常食

再現した「貝と切り干し大根の煮物」とたん貝(右下)

【コラム・古家晴美】霞ケ浦湖岸に住む方々が日常食として召し上がってきた湖の幸として、今回は「たん貝」について、主に聞き書きに基づき取り上げてみたいと思います。現在では、ほぼ漁獲・食用がされなくなってしまいましたが、江戸時代から昭和40年ごろまでは、霞ケ浦のどこででも獲れた2枚貝です。

「カラス貝」と呼ばれることもありますが、「たん貝」はイシガイ目イシガイ科の淡水カラス貝(ここで挙げるいわゆる「たん貝」)で、イガイ科のムラサキイガイ(いわゆる「ムール貝」)とは全く関係ありません。この2つはしばしば混同されますが、全く別物です。「たん貝」は霞ケ浦では、夏と秋から冬にかけての2回採取できました。

これからの季節、暑くなると毎日のように、カワ(霞ケ浦)へ水遊びに出た子供たちにとって、たん貝を獲ってくるのは仕事でした。湖岸で、シノダケで釣り上げるのです。この季節は小ぶりのものが多く、貝の脚など硬い部分はたたいて軟らかくしてから家へ持ち帰りました。これを切り干し大根と油で炒め、みそを加えて煮ます。長く煮ると貝の身が硬くなるので、味がしみ込んだところで火を止めます。

しかし、現在、たん貝は入手が難しく、写真にあげた「再現 貝と切り干し大根の煮もの」には、淡水パール養殖場で分けていただいたイケチョウガイを代用しました。イケチョウガイも食用とされていましたが、身はたん貝よりもやや硬いとのことです。

貝殻はボタンに加工 輸出の花形に

これに対して、秋から冬にかけて獲れるたん貝は、もっと大ぶりのもので(30センチに成長するものもある)、岸から50メートルくらい沖で獲れました。この辺りはケダブチと言い、湖底が砂地から泥地にかわる境目で、餌が多かったためか何の魚でもよく獲れました。

たん貝漁には大人の男性が出て、サデ(泥の下を掻く10センチの爪がついた馬鍬=まんが=の形をしたものにアミが付いた漁具。柄には4メートルくらいで軟らかくしなる竹を用いる)で獲るか、淡貝馬鍬(たんかいまんが)を横引きの舟に帆を張ってマンガを曳(ひ)かせて獲っていました。

いずれも泥をふるい落とさねばならない作業があるので、成人男性にとっても重労働でした。冬のたん貝は大きかったので、身を自宅でおかずとして食べる以外に、むき身をゆでて行商に売ることもありました。

また、たん貝の貝殻はボタン工場に売却され、ボタンに加工されました。土浦に1915(大正4)年にボタン工場が設立され、その後、田伏(かすみがうら市)、麻生(行方市)にも設けられました。明治末から昭和30年ごろまで、貝ボタンは輸出産業の花形でした。たん貝は様々な食べ方をされ日常食として親しまれる一方、貝殻は内面の美しい真珠層を利用して貝ボタンに加工され、近代産業の一翼を担ってきたんですね。(筑波学院大学教授)

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