【コラム・斉藤裕之】ある日、家族にも他の誰にも内緒でただ漠然とログハウスに憧れ、なんのつてもないままカナダに渡った弟。偶然、現地で有名なログビルダーに巡り合い、修業すること数年。その後、子供も生まれ帰国。故郷山口の山を切り開いて、作業小屋や住まいを建てながら、大工の棟梁(とうりょう)について修業。そして、茨城で我が家を手掛けたのが20年近く前。

できるだけ新建材を使わず、シンプルで木を生かした家は住み心地がよく、我が家を訪れる友人にも好評。ついに一昨年、私の友人に頼まれて茨城で2棟目となる新築を手掛けることとなりました。柱や梁(はり)は山口で墨付けや刻みをしてトレーラーで運び、その他の建材は現地で調達。梁や柱を「人形束」という木製の接合部品でつなぎ、「こみ栓」という杭のようなもので留めていく工法は、茨城ではこの1棟だけでしょう。

金物を使わないことなども含め、建築基準をクリアーするのに建築士さんにもご苦労をいただき、無事にかわいらしい平屋が完成しました。施主の友人曰く、「ストレスフリーで本当に住みやすい」とのこと。

話はその家の建築中に遡(さかのぼ)ります。別の友人が実家を改築したいから一度見て欲しいとのことで、弟と出かけました。農村部にある大きな敷地のお宅。一見新しそうに見えた洋風の母屋は入ってみると、震災の影響でしょうか、少し傾いている様子で雨漏りもしています。これはなかなか厄介。

と、母屋の左手には立派な納屋が。入ってみると、それほど使われた様子もなく、太い柱や梁に漆喰(しっくい)壁、深い下屋(げや)や土間が魅力的な物件。弟と私の意見は一致。「母屋は止めてこっちの納屋を住まいにしましょう!」。

母の夕食はいつも残り物だった

というわけで、3度、茨城にやってきた弟。私もたまに手伝うのですが、大事な仕事として、久しぶりに弟のために弁当を作っております。私が一番早く帰宅するので、夕餉(ゆうげ)の支度は私の仕事。弟が加わり、いつもよりにぎやかな食卓。

そこでふと思い出しました。母は家族と一緒にご飯を食べなかったことを。父や私たちが食事を終えた後に、さっさっと1人で食べていました。いわゆる残り物を。そういう時代だったのかなあ、ぐらいに思っていました。

でも先日、弟とかみさんと食卓を囲んでいるときに思ったのです。母は残り物で十分だったのではないかと。実際、今の私は2人が美味しそうに食べるのを見ているのがうれしくもあり、その残りで十分満足なのです。今問題の食品ロスもなくなるし。

さて、毎日現場で汗を流す弟。順調に改築が進んでいるようですが、目下の悩みはたまに様子を見に来る近所の親戚のおじさん方の茨城弁だとか。「なにをはなしよるんかわからんちゃ」。どっちもどっちだっぺよ。(画家)

➡斉藤裕之さんの過去のコラムはこちら