《邑から日本を見る》42 映画「ある町の高い煙突」

飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】全国上映を前に、14日に水戸市で映画「ある町の高い煙突」を見た。この映画は、同名の新田次郎の小説をもとに、松村克弥監督が撮ったもので、2016年から3年かけて作ったという。同監督の本県関係の映画では「天心」「サクラ花」に続く3作目。

新田次郎の小説のカバーには「富国強兵、お国のため、というスローガンを掲げれば、小さい農村の田畑や農民の利害など簡単に踏みにじられた時代に、煙害撲滅を強く訴え、遂に企業に世界一高い煙突を建てさせた若者たちがいた。足尾や別子の悲劇がなぜこの日立鉱山では繰り返されなかったのか。青年たちの情熱をさわやかに描いた長編小説」とある。

日立鉱山を1905年に操業した久原房之助は外国の技術を導入し、第1次世界大戦を背景にした好景気によって会社は急成長を遂げていった。しかし、同時に亜硫酸ガスによる煙害などの鉱毒による周辺への被害も増えていった。被害は珂北3郡(多賀、久慈、那珂)の4町30カ村に及んだ。私が住んでいる那珂市でも、葉煙草に被害が出たという記録が残っている。

映画の中心舞台である入四間地区は鉱山の西隣。風向きによって「黄色い煙」が地をなめるように這(は)い、集落一帯を襲い、農作物や山林に被害を与えた。

入四間の住民は、弱冠23歳の関右馬允(せき・うまのじょう)を煙害交渉委員長に選び、関は委員長として会社側との補償交渉にあたり、村の再生をめざし、煙害問題解決の闘いに明け暮れた。関の交渉・運動の基本方針は、足尾鉱毒事件のような「鉱毒停止」ではなく、被害に対する損害賠償交渉だった。被害状況を写真に撮り、被害額を調べ上げ、運動も他の地区と連携せず、入四間独自で行った。

煙害対策の決め手 156メートルの大煙突

これに対する会社側の対応も足尾とは違った。金銭補償だけでなく、鉱害に強い苗や杉、桜、クヌギなどの現物補償も行った。オオシマザクラだけでも260万本に達したと言われている。しかし煙害対策の決め手は1914年に完成した高さ155.7メートルの大煙突だった。久原の決断だった。この煙突によって煙害は激減した。この煙突は惜しくも1993年に倒壊し、3分の1になったが、現在も現役で活躍している。

映画は、主役の関根(モデルは関)が「この美しい村は大きく変わるかもしれません」と、ノルウェー人の鉱山技師から告げられる場面から始まる。合格した旧制第一高等学校に入らず、村人の一員として関根は会社側と交渉を続けていく。

映画は、緊迫した会社側との交渉の場面や地区内での対立、淡いロマンスなどで構成され、ロケ地も大子町の旧上岡小学校など見慣れた所があり、2時間10分があっという間に過ぎてしまった。

公害はもともと人間が作り出すものだ。だから、公害問題を解決するには「今だけ、カネだけ、自分だけ」という自分本位の考え方を変えなければならない。水俣、沖縄辺野古、東電福島第1原発、日本原電東海第2原発などに対する昨今のこの国の動きを見ていると、明治時代にもこんな人たちがいたんだということを知ってもらい、多くの人に参考にしてほしいと思う。(元瓜連町長)

➡先崎千尋さんの過去のコラムはこちら