【コラム・浅井和幸】太陽はまぶしいから消えてしまった方がいいんだ。そう考えて、太陽が無くなるまで何もしないと考える人は少ないでしょう。どうしてでしょうか? そんな馬鹿なことは考えても意味がないと切って捨てず、あえて考えてみます。

自然に文句を言っていても仕方ないから。待つには太陽の寿命は長いし、太陽を消し去ろうとしても出来るはずがないから。自分がサングラスをかけるなり、曇りの日や夜に動いた方が現実的だから。消えてしまった方がよいと思ったが、太陽が無くなったら、もっと不都合なことが出てくるから。いろいろ考えられますよね。

自然が相手だと文句は少ないのですが、人間が相手だと、何も悪いことをしていない自分は変わる必要はなく、悪い相手や社会が変われ、相手や社会が変わるまで自分は何もしない―と、多くの人が考えるでしょう。

上司が悪い、会社が悪い、親が悪い、子が悪い、支援者が悪い、友人が悪い、社会が悪い。自然は素晴らしい、人間は悪だという考え方もあるらしいですね。自分は何も悪くない、もしくは、自分より悪い奴らが何とかなれと心の中で繰り返します。

論理的に批判し合い、お互い自分の正義や愛の価値観をぶつけ合います。傷つけ合い、疲れてしまい、ついに動けなくなる悪循環になってしまうのです。

ときには自己批判する

批判をすることも必要ですが、ほとんどの人は、自分が動かないことが目的の批判で、それは、むしろ自分が望む変化とは逆になることが多いのですが、いかがでしょうか?「ほら見ろ、自分が言ったように悪くなっただろう」という、悪い予言が得意な占い師になっても、自分の苦しみが増えるだけです。

親の作った料理の味を批判したら、美味しい料理が出てきたでしょうか? 社会に対する不満を言うことで、社会がハイ分かりましたと、批判と逆の状態になってくれるでしょうか? 自分の言動でどのように状況が変化したか、検証することは重要です。

ときには自己批判をする。それが反省に繋がり、次の行動に活かされる。その後、現実はどの様に変化したかを検証する。もちろん、自分の目的が何かを見つめ直すことも必要です。

私たちは聖人ではないですから、愚痴をこぼすことも大切なことです。しかし、その愚痴や批判は、気持ちをスッキリさせたでしょうか。現実世界が変わったかどうかと同じぐらい検証して、役に立ったかを、考えてみることを私はお勧めします。

それでもあなたは、まだ、太陽なんか消えちゃえ、雨なんか一生降るなと、サングラスもかけず、傘もささずに、太陽を見続け、雨に濡れ続けますか?(精神保健福祉士)

➡浅井和幸さんの過去のコラムはこちら