【コラム・奧井登美子】5月13日、水戸プラザホテルで、ケイジ・フクダさんの医療関係者と自治体関係者向けの講演会があった。テーマは「国際的な感染症の課題と今後の取り組み」。

ケイジ(敬二)さんは土浦市の生まれ。米バーモント大学で医師になり、アトランタの疾病予防管理センターで感染症を研究し、世界保健機構(WHO)でインフルエンザ対策を担当した、感染症の世界的なプロである。WHOのマーガレット・チャン氏の関係で、現在は香港大学教授として活躍している。

ケイジさんの父、実さんは土浦の沖宿の生まれで、九州大学の医学部麻酔科の陣内教授の下で研究。米国に渡ってからも、人柄を買われて州医師会長をするなど、国際的に活躍していた。

母親の道子さんは、土浦フレンド教会の中村万作牧師の娘で、医者として土浦協同病院に勤務していたこともある。福田家の兄弟2人と中村家の姉妹2人は、偶然仲良く結婚。私たちは親戚として、親しい友人として、この4人と付き合っていた。

ケイジ・フクダさん とても懐かしい人

道子さんは、よく私にお手紙をくださった。実さんは道子さんが亡くなった後も、学会などで日本に来ると、霞ケ浦の風景を懐かしく思い、茨城の言葉が聞きたくて、必ず土浦に寄られた。そして、私の車で沖宿の福田家の墓参りをし、歩崎あたりを散策するのが習いになっていた。

ケイジさんの弟、クリストファーも時々土浦に遊びに来て、うちの娘と筑波山に登ったりしていたが、ケイジさんは、家族が米国に行く前の、幼い時にお会いして以来である。

ケイジさんの祖父の中村万作牧師は、長い間、奥井家の精神的支柱であった。戦中も戦後も、自分を失わない人間として強い精神を貫いた人。父親の実さんは、国際人でありながらとても優しい細やかな人だった。

通訳を通してケイジさんの講演を聞きながら、感染症の内容の深刻さ、世界的流行時代への対策など、大きな問題に挑む一途な姿勢を感じる一方、途上国の住民に対する優しさを感じて、涙が出そうになってしまった。

成人してから初めてお会いした人なのに、何かとても懐かしい人なのである。祖父と父母の大きさと優しさを、一つの身体の中に持っている人。そう考えて、私はケイジさんと堅い握手をしたのだった。(随筆家)

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