《宍塚の里山》38 渡り鳥の鷹「サシバ」 里山で営巣

里山のサシバ

【コラム・及川ひろみ】渡り鳥である鷹(たか)「サシバ」は4月、宍塚の里山にやって来ます。そして、谷津田に近い林に営巣(えいそう)し、カエルやヘビを狩り、雛(ひな)を育てます。捕らえたヘビを脚にブラリとたらして飛ぶ姿や、大きなウシガエルを木々の上すれすれに運ぶのを見ることもあります。ピックウィー、ピックウィーと鳴きながら低空を飛ぶ姿は、この時期ならではの里山の風物詩です。

30年ほど前までは、複数の営巣が見られました。耕作が行いにくい谷津田は、農家の高齢化に伴い、そのころから耕作放棄が一気に進み、サシバの餌であるカエル、そしてカエルを餌とするヘビが減少、また放棄地では葦(あし)など背の高い植物に覆われ、餌を狩るのも難しくなりました。

このようなことは、サシバが営巣する所で広く起こりました。それまで馬糞鷹(ばふんだか)と揶揄(やゆ)されるほど数多く見られたサシバですが、今や絶滅危惧種(レッドデータ種)になってしまいました。

宍塚の会では1990年から、サシバの繁殖状態を調査、複数の番(つがい)の繁殖を確認していました。NHKの番組「生き物地球紀行」の中の「サシバ」は、宍塚の里山を舞台に営巣・育雛の様子を撮影したもので、1996年放映されました。

しかし、その後、宍塚では繁殖が確実には行えなくなりました。会では1990年から毎年、春先に産卵するアカガエルの卵塊数を数えていましたが、次第に谷津田の休耕が広がり、97年ごろから卵塊数が激減、同時にサシバは営巣するものの、巣立ちが確認できなかったのです。

9~10月初旬、群れて西へ

会ではこの状況を憂い、地権者の協力を得て、99年から休耕地になった田んぼの復田活動を本格化させました。当時、復田は大変難しいことで、収穫したコメと同量のコメを開発途上国へ援助米として送ることが条件でした。無農薬で栽培する貴重なコメを援助米にするのは忍び難く、収穫量に見合うコメを地元農家から買い入れ、援助米にしました。

耕作機もない中、大勢が手をつなぎ足踏みをしながら耕す、人力耕耘(こううん)を行ったり、田に大きな稲文字「サシバの里」やサシバ、カエルなどの絵を、黒米、赤米、緑米などの色の付いた米で描く「田んぼアート」など、楽しみながらの稲づくりでした。

田んぼの復田と同時に、カエル、ドジョウの産卵用ビオトープや湿地の整備を行い、カエルの産卵場所を確保した結果、卵塊数は一時の6倍になり、今では複数の営巣が確認できるようになりました。今年のアカガエルの卵塊数は昨年よりかなり多いと、調査者は言っています。雛は無事育つことでしょう。

9月から10月初旬にかけて、サシバは群れて西へと旅立ちます。行く先は沖縄、フィリピン、インドネシアなどで、暖かな地で冬を過ごします。(宍塚の自然と歴史の会代表)

➡及川ひろみさんの過去のコラムはこちら