《邑から日本を見る》 37 元号狂騒曲のバカさ加減

飯野農夫也氏の版画「憩い」

【コラム・先﨑千尋】いくらエイプリルフールだからといって、「改元祭」というバカ騒ぎ、空騒ぎがあっていいものだろうか。天皇が退位する、新しい元号に変える。それは事実だから、淡々と伝えればいいことだ。

しかし、1日のテレビ・ラジオは安倍官邸にメディアジャックされ、翌日の新聞はあの東京新聞も含めて1面はすべて新元号制定の記事で埋められた。2面以下にも、その説明、解説、座談会など「令和」オンパレード。高揚した安倍首相は記者会見だけでなく、あちこちのテレビ局に出演した。

私は、一連の動きを見ていて、安倍さんが天皇制、国家を私物化し、皇室を政治利用したと考えている。オレが決めたとアピールし、自分の政権浮揚につなげたいという安倍さんの思いだけが走り、報道機関はそのことをほぼ無批判に垂れ流し、「国民的イベント」の演出に力を貸した。

今回の元号は、1979年に成立した元号法に基づき、政府が決めた初の元号となった。元号法により、元号の決定権が天皇から政府に移された。政府が識者に依頼して挙げられた候補の中から、ノーベル賞受賞者、直木賞作家などの有識者の懇談会の意見を聞き、閣議を開き、衆参両院の正副議長からも意見聴取を行い、決定した。

しかし、これまでに伝えられる情報によれば、「令和」は選定作業が最終段階を迎えた3月中旬以降に候補名に追加されたという。安倍首相がこだわっていた国書由来にしたかったようだ。令和と決定したその日に談話を発表し、その後の記者会見でも、典拠、新元号選定、次の世代への呼びかけなど、どうみても安倍さんの「出来レース」であったとしか思えない。

令和の出典とされた万葉集の大伴旅人の序文は、中国古典の孫引きだという指摘もあり、それによれば、安倍政権とそっくりな不正と忖度官僚の跋扈を嘆いた中国の役人の言葉が元ネタだとか。何をかいわんやである。

私は原則として元号は使わない

米ニューヨークタイムス、英BBCなどは令和を「order and peace」と訳したそうだ。orderは命令という意味であり、両院の副議長からも「令は命令するという意。上から目線だ」と、不快感が出されたという。

私もこの言葉を聞いたとき、命令、号令、令達、政令、省令という言葉を思い浮かべた。令の字源は「人がひざまずいて神意を聴くさま」(大漢語林)だそうだ。和は争わないこと。お前たち国民は政府に楯突くな。安倍さんが、私たち国民にそう命令しているような気がしてならない。

私は原則として元号は使わない。モノを書く時に、「大正7年の人の年齢はいくつか、日本国憲法が施行されたのは昭和22年だが、何年前のことか」などを調べるのに、手帳にある年号・年齢・西暦早見表」を見て計算しなければならない。江戸時代以前のことだと、日本史年表を引っ張り出す。不便極まりないのだ。

そもそも、民主主義の国家であるわが国が、どうして天皇制に由来する元号を使うのか。元号は、もともとは中国で統治者が正しい時を人民に知らせることによって支配する正当性を示す政治的な道具だった。皇帝が人民の時間を支配するのだ。それが日本に渡来し、今日まで続いている。

今回、その是非を巡っての議論や国民の意見を聞くこともなかったことを考えると、この国は民主主義の国家ではない。私は安倍さんに私自身の時間を縛られたくない。私はそう考えている。こんなことを書くと不敬罪、反逆罪で捕まえられるかな。(元瓜連町長)

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