《ひょうたんの眼》14 人口減少をゆとりの生活へ

3月のボケの花

【コラム・高橋恵一】統一地方選挙だ。市長候補者や町会議員候補者は、人口減少の危機を訴えて、少子化を転じる施策や、町のにぎわい策を掲げるが、日本全体で、長期的に減るのだから、限りある食料を奪い合うようなものだ。

日本の人口は、2010年に既にピーク(1億2806万人)を過ぎて減少に転じ、2029年に1億2000万人を切り、46年後の2065年に8808万人、2100年は4771万人と推計されている。さらに激減して、2200年を850万人とする予測値もある。

一方、国連推計の日本人口は、2065年が9954万人、2100年が8453万人。地球人口は、2010年の69億人が、2100年には91億人になるとしている。国連では、その後200年の間に安定期になり、2300年の地球人口を90億人、日本も1億人で大台を回復すると推計している。

人口減少を嘆く人たちには、団塊の世代から文句がある。幼いときは、食料不足と子沢山で迷惑がられ、就職すると高度成長期で、まさに企業戦士として働き、退職したら、100年安心年金なんて嘘。超高齢化と社会保障、介護と医療など、「問題」と「対策」のオンパレードだ。

人口の年齢構成の偏(かたよ)りで、生産年齢人口比率が高く続く時代を「人口のボーナス期」というが、日本は、この「富」を蓄積すべき時代を、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと浮かれ、浪費に費やしてしまった。

膨大な国債のために、社会保障改革などという言葉でごまかして、社会保障費を削減する「改悪」をしそうだ。国家の財政破綻を放ってはおけないが、全ての国民の安寧(あんねい)を保証できないのであれば、何のための政治であり、なんのための国家なのだ。

人口減を異常に心配するな

人口減少対策として、子どもを増やそうとするのが少子化対策だ。動機が不純過ぎないか。かつて、戦争中に多くの若者を出征させ、補充のため「産めよ、増やせよ」と言ったが、物資不足で、育児の人手もなく、敵の攻撃の危険さえもある時だった。今の時代と同じではないか。生まれてくる人や、産み育てる人が優先されていない。

人口減少を異常に心配する必要はない。人口1億なら、1億人の総力で1億人が暮らせる稼ぎをすればよい。8000万人で1億3000万人分の稼ぎをしなくてはならないと考えるから、無理が出る。人口が半分になったら、銀行もデパートも半分にすればよい。売り上げが半分になるのだから、従業員も半分。応募者も半分になる。需要が減るのだから、供給も減らさなければ、バランスが取れない。

社長が半数になっても、人口における社長数の割合は変わらない。狭いといわれる日本の国土は、人口密度が半分になって、住宅の1軒当たりの敷地面積が広くなり、駐車場料金も下がり、道路渋滞もなくなる。人口減少は、何10年もかかって変化するのだから、じっくり取り組めばよい。

人口や面積の大きさを競うのではなく、1人1人の国民生活の豊かさ、幸せ度を誇れる地域づくり、国造りに、政治家も、学者も、マスコミも知恵を絞るべきだ。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)

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