《世界に生きる》6 外国人となり痛みが解る

筑波学院大学

【コラム・大島愼子イチローの引退会見はさすがに名言がたくさんあったが、「外国人になって人の痛みを想像できるようになった」という言葉が特に印象に残った。

偉大な野球選手と自分を比べるのは恐縮であるが、私が初めて外国人になったのは19歳のとき、アメリカでの留学生活である。60年代後半であるから、敗戦国から来た可哀そうな日本人には親切にしようという、慈善に近い対応を受けた。

「日本人はパンを食べるのか?」などと聞かれることもある。我々にはアメリカの情報は沢山あったが、私が生活した中西部のアメリカ人には、日本はまったく知られていなかった。

次に外国人になったのは、ドイツの航空会社に勤務してからである。フランクフルトの街を歩くと、「看護婦か?」とよく聞かれた。70年代には韓国が渡航自由化されていなかったため、多くの韓国人女性が看護婦の資格で西ドイツの病院に勤務していたからである。

当時の西ドイツはすでに労働人口が減少しており、トルコやアラブから労働者が流入していた。フランスの街を歩くと、「中国人か?」と声をかけられたものである。しかしこれは単に周囲の人たちが好奇心をもって声をかけてきているだけで、外国人として差別されたというわけではない。

国籍で考えさせられたことは多い

外国企業に勤務していても、国籍で差別されたことはないが、考えさせられたことは多い。例えば、80年代後半に世界規模で支社の代表が集まる国際会議がハンブルクで開催され、ドイツ有数の企業トップの講演が行われた。

ドレスナー銀行の頭取は、世界のベスト20の銀行ランクに日本の銀行が多数入っていることは由々しき事態だ、と話した。BMWの副社長は、日本で車を販売するときは、高額にしてサンルーフやオーデイオなどすべて搭載しないと売れないと話した。ドイツでは車は移動手段であるから、ごくシンプルな装備で、他の機能はオプションであるから、マーケットの違いを話したわけであるが、両者の発言が日本に好意的なものとは思えなかった。

1000名近くのドイツ企業の従業員を集めての会議であるから、講演者は、そこに日本人がいるなどとは考えもしなかったであろう。だが、私の席の近くの人たちは私の国籍がわかっていたので、「ドイツ語はニュアンスが難しいので悪口のように聞こえたかもしれないが、別に悪意はない」などと解説するので、ますます苦々しい発言なのだと確信したくらいである。

外国人という表現で最も印象に残っているのは、90年代にドイツでネオナチがトルコ人を迫害した事件のときである。ルフトハンザドイツ航空は、その行為を批判し、「我々航空会社は世界中の地域で外国人である。その地域の協力を得てサービスしている。ドイツ国内で外国人に被害を与えることは断じて許さない」という内容の広告を展開した。イチローの発言は、これに通じるものなのだろうか。(筑波学院大学長)

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