【コラム・奥井登美子】いのしし年だというのに、山のイノシシから感染したトンコレラで、たくさんの食用の豚がウイルスに感染し、殺されてしまった。テレビのニュースを見て、ものものしい出で立ちの防疫職員の人数の多さに驚いた。

インフルエンザが鳥に感染してトリインフルエンザに変化することなどを考えると、豚コレラもいろいろな動物に感染する可能性もあって、いつ、人間に近づいてくるか、わからないから、予防対策として完璧を期するのもわかる気がする。

日本に初めてコレラが流行したのは、文政5年(1822年)、外国の船が持ってきた病とあって、尊王攘夷にも影響を与えたらしい。京都だけで3000人の死者が出たという。3日でころりと死ぬので、3日コロリがコレラになったらしい。

次の流行は安政5年(1858年)。関西だけでなく全国的に広まり、江戸だけで28万人もの人が亡くなり、お棺が間に合わない有様だったという。1860年まで、3年にわたり流行したらしい。浮世絵の安藤広重もコレラで亡くなっている。

そのころ、ヨーロッパではコレラの流行を止める目的で、下水道の普及を図ったけれど、日本人にはそういう知恵はなかったらしい。

薬の宣伝も兼ねた「はやり病の錦絵」

エーザイの内藤祐次さん(主人の兄・奥井誠一の旧制水戸高校同級生・親友)が創った「内藤記念くすり博物館」発行の「はやり病の錦絵」の本の中にもコレラがたくさん出てくる。

  • 流行時疫異国名コレラ:安政5年
  • 頓ころり病予防薬:江戸時代
  • 流行虎列刺病予防の心得:明治10年
  • 虎列刺病予防法図解:明治10年
  • コレラ病伝染のやまひにて俗二コロリというなり:明治10年
  • 流行悪疫退散の図:明治13年
  • 虎列刺退治の奇薬:明治19年

明治になってからも流行し、薬の宣伝も兼ねた錦絵を作ったらしい。錦絵にはイノシシは出てこない。恐ろしい顔をした虎が出てくる。我家の倉の中からも、明治12年(1880年)のコレラ病予防商儀という書付が出てきた。明治のはじめ、土浦のあたりでもコレラ病が流行ったらしい。(随筆家)

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