《世界に生きる》5 コミュニケ―ションギャップ

筑波学院大学

【コラム・大島愼子】英語を話すときに、一般的にはLとRの発音を注意するように言われるが、私がアメリカでスピーチの講座を履修したときに言われたのは、語尾のt とdである。アメリカの大学では1年と2年のときに、スピーチの講座が必修であった。詩や脚本を暗唱してプレゼンすること、自分で書いたスピーチを披露すること、およびディベートを必ず行い、教科書は心理学のテキストであった。自分の話を相手にどのように理解させるか、印象づけるかは、心理学の分野なのであろう。

前職の航空会社で、同僚から、待遇改善の要求を上司に提出するので、手紙の文案をチェックしてほしいと依頼されたことがある。日本語の手紙の英訳であり、時候の挨拶に似た文章と、「最近の航空業界の不振は十分理解しており、上司のご苦労を拝察する」という内容で始まっていた。そして「可能ならば給与を改善してほしい。私はこれだけの業務をこなして会社に貢献している」というものであった。

私は、内容の順番が違うと指摘した。待遇改善ならば、「私の日ごろの業務を評価して給与をX%挙げてほしい。私は各々の業績をあげ、会社に貢献している。業界の状況は理解しているが、正当に評価していただくようにお願いする」のようにする、と回答した。結論を先に言うことが重要なのである。

If possible などと言わずに、I would appreciate と、配慮してくれたら感謝すると直接的にいうのである。しかし、これを日本人社会で行うと抵抗がある。

High Context文化とLow Context文化

よく言われるのは、ハイコンテクスト(High Context)文化とローコンテクスト(Low Context)文化である。これは70年代に、文化人類学者エドワード・T・ ホールにより提唱された概念で、国や民族のコミュニケーションスタイルのことである。

日本語は、以心伝心のように、話し手と聞き手の体験や感覚が共有されている文化で、相互理解には、言葉よりも言葉そのものには含まれないボディランゲージや声のトーン、時には話者や著者の地位や立場までも含まれ、ハイコンテクストの代表である。

一方、ローコンテクスト文化は、コミュニケーションがほぼ言語を通じて行われ、文法も明快かつ曖昧さがない文化を指す。北米、西欧がこの文化であり、英語はその筆頭であるとされる。これらの地域では、形式的な言葉や飾り立てた表現は必要なく、問題とその解決策を端的に言語で表現することが好まれる。また、受け手は言語で表現された内容だけを文字通りに理解する傾向がある。

西洋言語の上手下手は、発音よりも相手の思考形態に合う論理展開をすることである。しかし、現在、日本人同士でも世代によりハイコンテクストとローコンテクストの違いがあると感じるのは私だけだろうか。(筑波学院大学 学長)

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