木曜日, 12月 25, 2025
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軽井沢に藤巻進さんを訪ねて《ふるほんや見聞記》4

【コラム・岡田富朗】藤巻進さんは、1973年に有限会社塩沢遊園(現・軽井沢タリアセン)に入社。85年には軽井沢高原文庫を設立し、理事長に就任。その後、89年に一般社団法人軽井沢青年会議所理事長に就任、95~2007年の間、軽井沢町議会議員を3期務め、07~10年には一般社団法人軽井沢観光協会長を歴任。そして、11~23年の12年間、軽井沢町長を務められました。

今回は、藤巻さんが塩沢遊園に在籍していた時代のお話を伺いました。塩沢湖のある場所は、かつて一面の水田でした。冬になると水田に水を張り、スケートを始めたのがきっかけで、やがて本格的な天然スケートリンクとして整備され、その後現在の塩沢湖の姿となりました。

1971年には塩沢遊園が設立され、冬のスケートだけでなく、1年を通して楽しめる施設へと発展しました。78年には、ジョン・レノンとオノ・ヨーコも来園したというエピソードもあります。85年、軽井沢にゆかりのある文学者たちを中心とした文学館「軽井沢高原文庫」を開館。敷地内には堀辰雄の山荘、有島武郎の別荘、野上弥生子の書斎などを移築・公開しています。

1986年には「塩沢湖レイクランド」をリニューアルオープン。同年、「ペイネ美術館」も開館。この美術館は、建築家アントニン・レーモンドが1933(昭和8)年に建てた「「軽井沢・夏の家」を移築・復元した建物で2023年には国指定重要文化財になりました。

1991年からは10年間にわたり、「タリアセン音楽祭」を開催。1996年には「塩沢湖レイクランド」から「軽井沢タリアセン」へと施設名も改めました。

「タリアセン」という名称は、アントニン・レーモンドの師であるフランク・ロイド・ライトが建設した、設計工房兼共同生活の場の名前に由来しています。ライトのタリアセンは、単なる設計事務所ではなく、「タリアセン・フェローシップ」という建築塾として運営されていました。そこでは、自給自足の共同生活を行いながら、建築教育と実践が行われていました。

名称には、遊園施設としてだけでなく、「来園者の創造力や創作意欲を刺激する場所でありたい」という藤巻さんの思いが感じられます。

深沢紅子 野の花美術館、明治四十四年館

同年には「深沢紅子 野の花美術館」も開館。軽井沢の歴史的遺産のひとつである「明治四十四年館」(旧軽井沢郵便局舎)を移築・復元し、その2階に開館。さらに2008年には、1931(昭和6)年に建築家W.M.ヴォーリズが設計し、フランス文学者・朝吹登水子が別荘として使用していた「睡鳩荘」を移築・復元し、一般公開しています。

最後に藤巻さんは、「未来の軽井沢に、今、私たちが何を残していけるのかを考えることが大切です。かつて軽井沢には多くの文学者が集い、数々の無形文化が生まれました。また、名建築家たちが手がけた別荘も多く存在しています。そうした文化や建築は、残すだけではなく、守り、そして生かしていくことが重要なのです」と語ってくれました。

遊園施設の運営から町の運営を経験された藤巻さん、「すべては、これまで出会ってきた人たちのおかげで、ここまでやってこられた」と語ります。(ブックセンター・キャンパス店主)

<参考>町長時代のお話は、4月25日に発売された著書『軽井沢とともに歩んだ12年 時時刻刻~町長が綴った133話』(婦人之友社)でご覧いただけます。

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つくば駅前に大型ディスプレイ登場 イルミネーションと共ににぎわいを

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サンタクロース《短いおはなし》46

【ノベル・伊東葎花】 今日、学校で男子とケンカした。だって、サンタクロースはいないって言うんだもん。私は絶対いると思ってる。プレゼントだって、毎年くれるもん。家に帰ってママに聞いた。 「ママ、サンタクロースはいるよね」 「そんなことより、今夜は冷えるから温かくして寝るのよ」 …そんなことって言われちゃった。 今、世界中が燃料不足で大変なのは知ってる。イブなのに、イルミネーションも暖房も自粛なの。お店は早く閉まっちゃうし、地球全体がどんより暗い。テレビも毎日「新しい燃料が見つからないと人類滅亡」とか言ってる。でもね、私はそんなことよりサンタクロース。今日は寝ないで、サンタクロースの写真を撮るの。私をバカにした男子を見返してやるんだから。 私は、ベッドにもぐりながら、その時を待った。すると、午前0時を過ぎた頃、窓の外が一瞬明るくなった。街中が真っ暗だから、すぐにわかった。サンタクロースが来たのかも。 耳を澄ますと、ピコピコと電子音のような音が聞こえた。サンタクロースは鈴の音と共に来ると思っていたけど、今どきは違うんだ写真を撮ろうと窓を開けると、緑色の少し小さめの人が飛び込んできた。あれ、サンタクロースは赤い服を着たおじいさんだと思っていたけど違う。緑色だ。 「いやあ助かった。船が故障しちゃってさ。地球って寒いね」 サンタクロースが言った。サンタクロースは、そりに乗って来ると思っていたけど、船で来るんだ。 「あ、仲間が助けに来てくれた」 サンタクロースが指さす先に、角が生えた黄色い生き物がいた。これがトナカイ? 本物のトナカイを見たことはないけど、角があるし、きっとそうだ。 「お邪魔しました。ありがとう地球人」 サンタクロースがトナカイと一緒に帰ろうとしたので、私は慌てて呼び止めた。 「あの、ちょっと待って…、プレゼントは?」 「ああ、親切にしてくれたお礼ね。地球人、意外としっかりしてるね」 サンタクロースは、持っていた袋から赤い石を取り出してポイと投げた。「石かよ!」と思ったけれど、世界中が不景気なので文句は言えない。「じゃあね」とサンタクロースは、あっという間に出て行った。きっとたくさんの家を回るから急いでいるんだ。 「あ、写真!」 慌ててシャッターを押したけど、UFOのような白い光が写っただけだった。ああ、失敗。 写真は撮れなかったけど、サンタクロースに会えた興奮でなかなか眠れない。それに、どういうわけか部屋の中が夏みたいに暑くて、毛布を全部蹴飛ばした。サンタクロースからもらった赤い石は、暗い部屋で不思議な光を放っている。なんだろう、これ。 この石が、燃料不足の地球を救うエネルギー源になる物体だと知るのは、少し後の話。地球を救ってくれたのはサンタクロースだって、私は信じてる。 (作家)