【コラム・岡田富朗】藤巻進さんは、1973年に有限会社塩沢遊園(現・軽井沢タリアセン)に入社。85年には軽井沢高原文庫を設立し、理事長に就任。その後、89年に一般社団法人軽井沢青年会議所理事長に就任、95~2007年の間、軽井沢町議会議員を3期務め、07~10年には一般社団法人軽井沢観光協会長を歴任。そして、11~23年の12年間、軽井沢町長を務められました。
今回は、藤巻さんが塩沢遊園に在籍していた時代のお話を伺いました。塩沢湖のある場所は、かつて一面の水田でした。冬になると水田に水を張り、スケートを始めたのがきっかけで、やがて本格的な天然スケートリンクとして整備され、その後現在の塩沢湖の姿となりました。
1971年には塩沢遊園が設立され、冬のスケートだけでなく、1年を通して楽しめる施設へと発展しました。78年には、ジョン・レノンとオノ・ヨーコも来園したというエピソードもあります。85年、軽井沢にゆかりのある文学者たちを中心とした文学館「軽井沢高原文庫」を開館。敷地内には堀辰雄の山荘、有島武郎の別荘、野上弥生子の書斎などを移築・公開しています。
1986年には「塩沢湖レイクランド」をリニューアルオープン。同年、「ペイネ美術館」も開館。この美術館は、建築家アントニン・レーモンドが1933(昭和8)年に建てた「「軽井沢・夏の家」を移築・復元した建物で2023年には国指定重要文化財になりました。
1991年からは10年間にわたり、「タリアセン音楽祭」を開催。1996年には「塩沢湖レイクランド」から「軽井沢タリアセン」へと施設名も改めました。
「タリアセン」という名称は、アントニン・レーモンドの師であるフランク・ロイド・ライトが建設した、設計工房兼共同生活の場の名前に由来しています。ライトのタリアセンは、単なる設計事務所ではなく、「タリアセン・フェローシップ」という建築塾として運営されていました。そこでは、自給自足の共同生活を行いながら、建築教育と実践が行われていました。
名称には、遊園施設としてだけでなく、「来園者の創造力や創作意欲を刺激する場所でありたい」という藤巻さんの思いが感じられます。
深沢紅子 野の花美術館、明治四十四年館
同年には「深沢紅子 野の花美術館」も開館。軽井沢の歴史的遺産のひとつである「明治四十四年館」(旧軽井沢郵便局舎)を移築・復元し、その2階に開館。さらに2008年には、1931(昭和6)年に建築家W.M.ヴォーリズが設計し、フランス文学者・朝吹登水子が別荘として使用していた「睡鳩荘」を移築・復元し、一般公開しています。
最後に藤巻さんは、「未来の軽井沢に、今、私たちが何を残していけるのかを考えることが大切です。かつて軽井沢には多くの文学者が集い、数々の無形文化が生まれました。また、名建築家たちが手がけた別荘も多く存在しています。そうした文化や建築は、残すだけではなく、守り、そして生かしていくことが重要なのです」と語ってくれました。
遊園施設の運営から町の運営を経験された藤巻さん、「すべては、これまで出会ってきた人たちのおかげで、ここまでやってこられた」と語ります。(ブックセンター・キャンパス店主)
<参考>町長時代のお話は、4月25日に発売された著書『軽井沢とともに歩んだ12年 時時刻刻~町長が綴った133話』(婦人之友社)でご覧いただけます。