【コラム・山口絹記】先日、雨が降っていたので久々になにをするでもなく喫茶店に入った。喫茶店というのは本質的に時間をつぶすところだと思っているのだが、天気の良い日などに行ってみると、仕事か勉強をしていたり、打ち合わせをしていたりする人が多く、なんとも落ち着かない。自分もなにやらしなければならぬ、という気分になる。だから、喫茶店には雨の日に行くのが一番だ。
雨の日の店内は、一定数、雨が降ってきたから雨宿りに入店した、というお客さんがいる。仕方なく入ったわけで、当然やることがない。仕方なく、外を眺めていたりするのだ。それが良い。一緒になって外を眺めていてもなんら罪悪感がない。
最近は一日中晴れている、ということが少ない気がする。秋晴れなんてことばもあったが、ハッキリ感じられる秋そのものが来ない年が続くと、ことばそのものを忘れてしまいそうだ。そんなとりとめもないことを考えながら、珈琲を飲もうとすると、カップが空だった。あれ、飲み終わってたっけ? だいぶ上の空だったらしい。これはかなり良い感じである。良い感じにできあがっている。
帰ったら本でも読もう
ちょうど雨もやんだので外に出る。雨上がりの曇った空の下を歩いていると、木陰に猫がいた。木から滴る雨水を、目をつむって、ペロペロと飲んでいる。近づいても気づかないようなので様子を眺めていると、水の滴る位置が次第にずれていき、もはや猫の口には一切水は届かないのだけど、猫は相変わらず目をつむってペロペロと舌を出している。おまえさんもだいぶ良い感じだな。
じっと眺めていると、うっすら目を開けてこちらを一瞥(いちべつ)し、そのまま眠ってしまったようだ。おまえさんの中の野生はどうした。とは思ったものの、まぁ人の、いや猫の?ことを言えたギリではないので立ち去ることにした。帰ったら本でも読んでゆっくりしよう。
こんな日があってもよいのである。(言語研究者)