【コラム・三橋俊雄】コラム10(7月16日掲載)で紹介した里山の暮らしの続きです。奥波見集落は、戸数18軒の、ほとんどが高齢者の集落です。この山村に何度もうかがい、その暮らし方、特に道具との付き合い方が半端ではないことに気づきました。厳しい自然と向き合いながらも、その自然と共生してきた人びとのたくましい姿や、さまざまな生活技術、生活文化と出会うことができました。
例えば、前回ご紹介した桶職人のお宅には、土間に手づくりの「竹製のネズミ捕り」がいくつも仕掛けられ、納屋の糠(ぬか)山には「タヌキ捕りの仕掛け」が忍ばせてありました。納屋に入ると長いベルト駆動の「脱穀機」が置かれ、収穫後の穀物を風の力で選別する「唐箕(とうみ)」が現役で使われていました。座敷には、お嫁に来たときから60年間使い続けているという「箱枕(はこまくら)」(図2)がありました。
ご夫妻からは、「ニウ」についてのお話も伺いました。「ニウ」とは、山で採集してきた薪(まき)を蔓(つる)で束ね、130束ほどを正方形に3メートルほど積み上げたもので、「今年の冬も無事に越すことができる」と話されていました。それは「ニウ」が単に燃料としての薪にとどまらず、冬越しに向けての精神的なシンボルともなっているということです。
また、図1は、97歳のお婆さんと80年間愛用してこられた「箱膳(はこぜん)」で、その使い方も教えていただきました。
図3は、柿渋名人のYTさんが、傷んできた竹のザルに和紙を貼り重ね、飴色になるまで柿渋を何度も塗って補修し、40年も使い続けてきた「柿渋染めのザル」です。私が訪ねた時も、庭先には補修を終えたばかりの農作業用の大きなザルが、いくつも並べられていました。
さまざまな「道具たち」
手づくりの「道具」を何10年も使い続ける、そうした日常の姿がすばらしいと感じました。
里山の暮らしとは、単に、都会と比べて自然が豊かであるというだけではありません。みなさんの暮らしぶりは質素ですが、そこでは、山に分け入り、農を営みながら、自然を楽しみ、自然に感謝する、自給自足的な生活が営まれていました。
お年寄りたちは、80歳や90歳になっても、山で、畑で、庭先で、あるいは共同作業場で元気に働き、その中で、さまざまな「道具たち」が息づいていました。
こうして、都会ではとうに失われてしまった、手づくりの道具と共にある「里山の暮らし」を目の当たりにすることができ、私たちが学ばなければならない「健康なくらし」とは、このような中にあるのではと思いました(ソーシャルデザイナー)